広瀬悦子

少し前のことですが、広瀬悦子さんのCDを初めて買いました。
曲目はリャプノフの『超絶技巧練習曲』(全12曲)。

超絶技巧練習曲といえば誰もが思い浮かべるのはリストですが、最近知ったところでは、リストはもともとこれをすべての調性で書くつもりであったものの、結果的にはそれは果たせず半分の12曲で終わったのだとか。

すべての調性で書かれた作品としては、バッハの平均律、ショパンやショスタコーヴィチの24の前奏曲等がよく知られますが、平均律はハ長調/ハ短調、嬰ハ長調/嬰ハ短調と順次上がっていくのに対し、24の前奏曲はハ長調/イ短調という平行調、そして5度ずつ上がってト長調/ホ短調と進んでいく。
いっぽう、リストの超絶技巧練習曲はハ長調/イ短調という平行調に進むものの、次にくるのはフラットがひとつ増えてヘ長調/ニ短調、さらにフラットふたつの変ロ長調/ト短調という具合に、フラットが増えていく作りになっています。
「なっています」なんて前から知っているみたいに書いていますが、言われてみてたしかにそうなっている!と最近気がついたしだい。

これを引き継ぐかたちで、同じく超絶技巧練習曲を12曲書いたのがロシアのセルゲイ・リャプノフ(1859-1924)。
リャプノフはシャープが6つの嬰ヘ長調/嬰ニ短調から出発し、ひとつずつ減っていき、最後にト長調/ホ短調に行き着くというもの。

このリャプノフの超絶技巧練習曲じたいが初めて聴くものでしたが、一曲々々が聴き応えのある重量級の難曲で、むろん楽譜は持っていませんが、耳にしただけでも最高難度を要求する曲集であることが察せられます。
ライナーノートによれば、「ピアノ書法と構想の両面でショパンとリストの練習曲集に比肩するクオリティを誇っており、さらに演奏の難易度とヴィルトゥオジティの点では、この二人の先輩作曲家の練習曲集をしのいでいる。」とあり、そうだろうという感じでした。
作風は、繰り返し聴きながら、かつライナーノートを参考にしながら云うと、ロシア5人組、とりわけバラキレフの影響が濃厚で、ドビュッシーやスクリャービンと同時代の作曲家と思うと、革新的な試みや書法で新地を切り開くのではなく、保守的な作風なのかもしれません。

リストを思わせる部分は随所にあるものの、曲としての明快さがいまひとつ掴めず、ロシア的な暗さの中で重々しく唸ったり旋回したりで、リャプノフならではの独創性というのがもうひとつ判然としない印象はありました。

広瀬悦子さんは、これまで特に注目したことはなかったけれど、これだけの曲をなんの不満もなく聴かせて、自分のものにして録音までするというのは、素直に大したものだと感心させられます。
この人は、よく知られた名曲に新たな息吹を吹き込んだり、演奏を通じて聴くものに直接語りかけてくるようなタイプのピアニストではないけれど、これだけのずば抜けた能力があるので、こういう知られざる作品を紹介するのにはうってつけの方だろうと思います。

「パリ高等音楽院を審査員全員一致の首席で卒業」とあるので、フランス系の特徴である譜読みがよほど得意なんだろうと想像しますが、恵まれた長い指、何でも弾きこなせる高度なメカニック、どこか孤独を感じさせるひやっとする雰囲気。
昔、ミヒャエル(マイケル)・ポンティという埋もれた作品を次々に掘り起こしては録音して紹介する達者なピアニストがいましたが、広瀬さんにはぜひともその現代版になっていただきたいような気がします。

ご本人もそういう方向性を自覚しておられるのか、バラキレフ、アルカン、モシェレスなどの作品を多く採り上げておられるようで、埋もれた、もしくは埋もれがちな作品を呼び戻すためにもピアニストの中にはこういう人も必ず必要なのであって、今後の活躍にも期待したくなる気分です。