仕上げる価値

マロニエ君がピアノを弾くのは、いうまでもなく自分の楽しみのためであり、発表会に代表される人前演奏にも一切参加しないので、これといって目標や義務のたぐいも一切なく、もっぱら気持ちの赴くままにピアノに触れているだけです。

むかし、ピアノ弾き合いを目的としたサークルに参加していた頃は、毎月何らかの曲をひとつ仕上げて人前で演奏するというサイクルの中に入ったことで、その数年間は自分なりにそこそこ練習したことを覚えています。
とくに、この手のアマチュアサークルでは、毎月毎回、同じ人が同じ曲を弾くということが常態化しており、これは率直に言って聴く側にとっても倦怠を誘い、いかがなものかという印象があったので、せめて自分は同じ曲は弾かないという目標を定め、マイルールとしました。

そうなると、必然的に練習も必要となり、むかし弾いたことのある曲でも人前で演奏するとなれば、やはりはじめから終わりまで問題を洗い出し、修正と練習を加える必要があるし、新曲ともなるとそれはもう自分なりにかなり追い込まれて練習したものです。

でも、やはり自分には人前演奏は根本的に合わないということを悟るに至って退会、以前ののんべんだらりとした世界に舞い戻ってきたわけです。

それでも、今は、いかに自分個人の自由な楽しみとはいえ、手を付けた以上はある程度は仕上げたいと思うようになり、なんでも遊びで譜面を追い弾き散らすだけではピアノにも、作品にも、そして自分にもマズいだろうと思うようになり、去年あたりからはそれなりに「仕上げる」ということを目標とするよう進歩(?)しました。

で、具体的な曲名はあまり明かしたくはないのだけれど、いい曲やりたい曲はいくらでもある中で、自然に吸い寄せられるように楽譜を広げてしまうのは、ショパンのマズルカです。
ショパンのマズルカは50数曲、短い断片に近いようなものから、数ページにおよぶ大曲まであって、マズルカ以外の有名曲が遥か及ばないような深い芸術性を有するものがいくつも存在します。

これまでにも結構やったつもりですが、ちょっと思いつきで弾くには難しくて避けていたものの、やはりそうもいかなくなったのが有名なop.59の3曲。
ショパンコンクールでも昔からよく弾かれる、マズルカのひとつの頂点とでもいうべき作品で、弾き手のいろいろなものが試される難曲です。

はじめはop.59-1 a-mollだけやってみることにしたのですが、これが聴くと弾くとでは大違いで、譜読みの段階からウンザリして、以前、何度も初見で弾いてみてビビってやめたことを思い出しましたが、今回はそこを乗り越えてみようという気分が珍しく湧きました。
それはいいけれど、表向きa-mollなんていったって、それはごくはじめのうちだけ、あっという間に際限のない転調ワールドに突入、途中で迷子になるがごとく、今自分が何調で弾いているのさえわからなくなるような感覚。
途中も後期作品特有の多声部的な作りになっており、暗譜なんてとても無理だと思うし、本来なら途中で投げ出すところですが、今回ばかりは意地になって続けた結果、まあまあ曲がましく聞こえるようになるまでになりました。

でも、欲というのは出てくるもので、ひとつがそれなりにまとまってくると、その次にあるop.59-2 As-durにも目移りし出しますが、op.59-1に取り組んだ後は少しは弾きやすいような感じがして、しばらくこの2曲をさらっていました。
するとさらに欲が出るのか、長いこと我が耳はop.59のマズルカといえば、ほとんどを3曲続けるのが自然と言わんばかりに聴い込んできているので、ついにop.59-3 fis-mollにも手を出し始める羽目に!

ところが、これがマズルカにしては最長レベルの5ページもある上に、難しさでも一番の難物で、指さえシャッシャと動くならバラードの3番などのほうがよほど弾きやすいような気がしなくもないほど。
その点でいうと英雄ポロネーズなんて、筋力とスタミナさえあればずいぶん単純。

本当なら、マロニエ君のような怠け者はop.59-3なんてまず手を付けないのだけれど、3曲がセットという固定されたイメージがあるものだから、とうとうこれにも突入してしまって頑張っております。
おかしいのは、単独でもマロニエ君レベルにとってはじゅうぶん難しいop.59-2は、1と3に挟まれるかたちで、いつの間にかそれなりに弾けるようになってしまい、たまには必死な練習も無意味じゃないなぁ…と思ったところです。

この3曲が、ササッと弾けるようになればいいなぁ…。