演歌

以前、東京芸大に潜入する番組を見たときに、はじめて知ったことがありました。
音楽学部の間では、異性から最も人気のあるのは、楽器別でいうと男性に人気はフルートの女性、女性に人気はチェロをやる男性が圧倒的に人気なんだとか。

チェロはちょうどあのサイズといい、曲線的なカーヴといい、それをうしろから全身で抱きかかえるようにして、ときに愛情深く慈しむように、ときに激しく演奏するのが女性にウケるんだとか。
要するにセクシーだということでしょうし、なるほどねぇ…と思わないでもないけれど、なんだかちょっと生々しい感じを受けたのも事実。

もちろん、音楽はもとより芸術全般に色気やセクシーさは不可欠だけれど、この場合は演奏とか表現性のことではなくて、もっと直截的な響きがあって「ひぇ〜」と思った記憶があります。
あまり良い表現ではないけれど、男性がチェロを無心に弾いている姿はモロにそういう連想をさせるのだと知って、いらいチェロの演奏(とくにソリスト)を目にするとそれを思い出してしまうのは、なんだかおかしいようなウザいようなことを知ってしまったようで困ります。

カザルスやロストロポーヴィチやフルニエには考えもしなかったことですが、ヨーヨー・マになるとあの表情からしてかなり微妙なものが。

さて、いま日本には絶大な人気を誇る男性チェリストの方がおいでのようです。
あえてお名前は申しますまい。

とても上手い方で、音楽作りのあり方もくっきりと明快で切れが良く、それこそエロい力強さもある。
これまでのチェロの穏やかで、どちらかというと後ろに回るイメージからはみ出して、まずなによりメリハリがきいていて表現も大胆でときにくどいほど、とくにソリストとしてこれまでのチェリストにはなかったヴィヴィッドなフォルムを描いて駆け上がってきたという感じ。

デュ・プレのような天才や狂気ではなく、あくまでもこの方の慎ましく誠実そうな人柄の奥にあるらしい男性的なフェロモンみたいなものが、チェロを介して十全に撒き散らしているように思います。
とくにこの方は、温厚で優しげな男性のイメージですが、ひとたびチェロを弾きだすや激しい熱情が露わとなり、そのコントラストも魅力なんでしょうね。

はじめの頃はキリッとした演奏をする、上手い人だなと肯定的に捉えていましたが、正直言うと最近はいささか鼻につく点も感じるように。

これってデジャブというのが適切かどうかわからないけれど、彼のやっていることと人気の根底にあるのは、いつかなにかで見たような気がして、よくよく考えてみると現代的にカタチを変えた演歌だいうこと。

いかにも一途な愛や情熱、嘆きや哀愁をひたすら音楽に注ぎこむ一途な男の姿は、いったんそこに気がつくと、急にお腹いっぱいになるのでした。
ラン・ランがどんなに世界を飛び回っても根底が雑技団的でしか無いように、日本人は観阿弥世阿弥か演歌浪曲のいずれかに行き着きついてしまうものなのか?
行き着くと言うよりは、バックボーンにあるものや遺伝子の問題?
遺伝子にかなったやり方だけら、ごく自然にウケるともいえるのかも。

マロニエ君の知人で、物事を思いもよらない鋭い目線で捉える人がいるのですが、曰く、髭の生やし方でその人の心理的な特徴が表れると力説されたことがありました。
で、きれいに整えられたアゴ髭まではいいけれど、それが上にきて下唇までつなげる人は云々というくだりを思い出しましたが、まさにこの方は控えめではあるけれど下唇までつながるアゴ髭があり、頭髪はサイドは短く刈り込まれているのがやけに生々しく、もちろん眉などお顔のお手入れも相当やっておいでのようで、ご自身のビジュアルのメンテにも相当気を配っておいでということに気が付きました。

テレビ媒体にしばしば登場し、あくまでも主役として派手に激しく演奏し、いったん演奏がおわると、パッとやさしい純朴で謙虚な男性に早変わりになるあたりは、まるで歌舞伎のようで、このあたりがキモなんだと思いました。

松本清張の『黒革の手帖』ではないけれど、「お勉強させていただきます!」と言いたくなります。
ま、どれだけお勉強したって、マロニエ君にはできっこないことですが。