承認欲求

こんなくだらないブログでも、書くにあたって最も難渋するのはネタ探しであることは、以前もグチったことがあるように記憶しています。
なんでも書きたいことを心のままに書いていいのなら話題にも事欠きませんが、さすがにそういうわけにもいきません。

ネタは大抵、その人が過ごす日々の生活の中にあるもので、そこからどうにか無難なものを拾ってくるわけですが「書くわけにはいかない」ことは、ほとんどはボツになってしまいます。

直感的な比率でいうなら「書けないネタ」のほうが断然多いのは確かで、しかもそっちの方が内容としては遥かに面白いのに、それを捨て去らなくてはいけないのは辛いところです。
おまけにこの一年以上、新型コロナの騒ぎで世の中はすっかり萎んでいるから、素材もより少なくなり、そんな中からネタを探すのは以前よりもずっと難しくなりました。

というわけで、最近のことを少しぼかして書きますと、人間関係でドッと疲れるのはコンプレックスの強い人です。
他人のことに異様に興味を持ち、会話の中に自分のアピールがやたらと差し込まれ、話は空虚な内容の繰り返しだから「またはじまった」というわけです。

本来たのしくあるべき雑談は、話題はなんでも構わないけれど、その場にいる人達が共有して楽しめる内容であるべきですが、そこへ自慢やハッタリの響きが聞こえてくると、内心シラケて疲れてきます。
とりわけ困るのは承認欲求が並外れて強い人。

まわりも大人だから誰も面と向かってツッコミはしないけれど、これをやると、むしろひとり浮いていくだけの逆効果なんですが、悲しいかなご当人はその一番大事なところに気が付かれません。

ピアノにもいろいろありますねぇ。
自分の実力を何段も飛び越えて、自分はそれぐらいの場所にいるんだといわんばかりに難曲大曲に手を付ける人。
いつも取り組んでいる曲といえば「えっ、ウソでしょ!」といいたくなるような、プロ並の御大層な曲ばかり。

難しい曲に魅力ある作品が多いのも事実なので、そんな曲を弾きたいという気持ちはわかるけど、「弾きたい」のと「手をつける」のとでは大違い。それを一切無視して欲求の赴くままゴリゴリと練習するのかなぁ。

でも、当然ながらほとんど弾けていないし、そういう人の演奏ははじめから終わりまで陰惨で、テンポも維持できないから時間も長いし、一刻も早く終わることをひたすら願うのみ。

マロニエ君はいつも思うのは、演奏技術はむろん上手いに越したことはないけれど、大事なことは自分なりに丹精して仕上げたものを演奏に込めること。
手に負えない曲に手を付けると、技術の未熟さがより明確に露呈するだけ。
それでは自分の値打ちを自ら下げているようなもので、人の手垢のついた中古品を買ってでもブランド物を持ちたがるような、なにかたまらない気持ちになるものです。

それもなにも、すべてをひっくるめて「個人の自由」「アマチュアの楽しみ」といってしまえばそれで終わるのだけれど、そんなことをして音楽や自分を貶めることはないのでは?と思ってしまいます。

ちなみにアマチュアでも、音楽が好きで、曲のもつ雰囲気や細部の美しさに敏感で、それをできるだけ表現したいと願っている人も少ないけれどおられて、そういう人の演奏は思い通りには行かなくてもいい瞬間などがあり、その気分だけでも伝わってくるものですが、そういう人は必然的に選曲も自分の技術の限界をわきまえたものになっているのは云うまでもありません。

ま、プロのピアニストでも、やたら大曲・難曲好きの人っていますよね。
普通ならプログラムにメインの一曲として据えるような曲を、わざと何曲も並べて、それをもって注意を引き、自分のレべルの高さを顕示しようとするような人。

しかし、その演奏といえば大抵はただ弾いているだけで、偉大な音楽を聴いたという満足や幸福な後味はひとつもなく、先に述べたような承認欲求にまんまと付き合わされたなぁ…というような疲れだけが残ります。