イゴール・レヴィット

イゴール・レヴィットというピアニストをご存じですか?

このブログを書くにあたって、ネットでちょっと調べたら、1987年ロシア生まれで、8歳のときにドイツに移住して数々のコンクールに出るなどしながら、今日のキャリアを築いてきた人のようです。

前回「プロのピアニストでも、やたら大曲・難曲好きの人っていますよね。」と書きましたが、まさにそんなひとりという感じを受ける人です。
絶賛の評価もあるようで、マロニエ君個人としてはそのパワフルで逞しいメカニックによる重量級のプログラミングこそがこの人の特徴ではないかと思います。

実は数年前、マロニエ君はこの人のCDをいくつか買ったことがあり、その特徴は例えばバッハのゴルトベルクと、ベートーヴェンのディアベルリ、それにジェフスキの変奏曲とかいう、1曲でも大変な大変奏曲が3曲3枚でセットになっているCDということで、その誇示的な曲目にすっかり乗せられての購入でした。
その後もたしかバッハのパルティータを買った記憶があり、探せばどこかにあるとは思うけど、あまり良く覚えていません。

また見た目もいかにもユダヤ系の人で、ルオーの絵のような濃い顔立ちと真っ黒なヒゲ、ギョロッとした強い眼差しなど、日本人からしたら年齢もわからないような、でもなにかスゴそうで、どんな演奏をする人か興味を掻き立てられたのでした。

しかし、その演奏は、危なげなく弾かれたものではあるけれど、作品を深く掘り下げるというより、弾けるから弾いたという印象がメインで、悪くもないけれど強く惹きつけられることもなく、何度か聴いただけで比較的短い期間で終わりになりました。
何度もくりかえし聴きたい演奏というのは、言葉にするのは難しいけれど、こちらの心がふっと掴まれるような瞬間があるとか、気持ちのある部分を揺さぶってくるようなもの、演奏によってなにかの景色が見てくるようなもの、あるいは刺激的な快さがあるなど、なんでもいいけれどもまた聴きたいと思わせるものがあるかどうかだと思います。

その後、ベートーヴェンの後期の5つのソナタをリリース(これも買ってしまいました!)するなど、この人はCDの選曲にも高級志向で押してくる印象が強くなりました。
聴いた後になにか残るものがないからか、レヴィットへの興味は終わってその存在さえほとんど忘れていたところ、NHKのクラシック倶楽部で彼が登場し、久々にその名前を思い出しました。
2020年のザルツブルク音楽祭に出演しベートーヴェンのピアノ・ソナタの全曲演奏を行ったようで、そこにもやはり彼の高級志向を感じますが、その中からop.110と111が放映されました。

映像でははじめて見たものの、確かなテクニック、メンタル面でも余裕すら感じる自己主張が伝わるもので、とりわけ男性の骨格と筋力が生み出す低音の迫力などはソロの演奏会場で聞けば魅力なのかもしれません。

しかし、その演奏から聞こえてくるものはCDの印象と大差なく、弾く能力にかけてはオリンピックのメダリストのように立派だけれど、それ以上の音楽が語るべき意味とか、演奏者の感興の妙とかが聞こえてくる気がせず、もしかすると、こういうスタイルがこれからの新しい演奏なのか…とも。
ところどころでテクニックにあかして変に遊んでいる(といえば語弊があるだろうけれど)ようなところも垣間見え、音楽ファンなら誰もが耳にこびりつくほど知っていて、しかも高い精神性をもつこれらの曲を、それらしく真摯に鳴り響かせる必要はそれほどない、あるいは流行らないよと言われているようで、あの祝祭大劇場に詰めかけた耳の肥えた聴衆はどう感じたのだろうと思います。

圧倒的な技巧とレパートリーを持って、マシン的にクリアで上手い人というのは世の中には一定数必ずいる(とくに現代は)ものですが、その中での頭一つ出るかどうかの勝負なんでしょうか。なんだって弾けて当たり前、どれだけタフで超人的な能力があるかということが問われるのかもしれません。
まったく、音楽家というより耐久レースの選手のような印象。

多くのコンクールにも出まくって、常に上位にはとどまるけれども、圧倒的な結果は得られない人ってたくさんいるものですが、今は優勝者しても圧倒的な人というのもいないから、しだいに求められるものも変質し、レヴィットのような人が音楽表現の深さより、能力エリートみたいなものでザルツブルク音楽祭のステージにも出演できるのかなぁ?と思ったり。

だいたいバッハのゴルトベルク、ベートーヴェンのディアベルリ、ジェフスキの変奏曲、3曲一組をひとつのCDとしてリリースなんていうのも、あるいはベートーヴェンの後期のソナタをひとまとめに出すなど、もうそれだけで「俺は普通のピアニストトじゃないよ!」と言われているようです。
かくいうマロニエ君もそれに乗せられてCDを3つも買ってしまったクチですけれども。

ちなみにピアノの大屋根は、やはりここでもノーマル以上の角度まで高く開けられており、実際の会場で聴いた経験はありませんが、スピーカーを通して聞こえてくる音は、通常のものより生々しい音の感じがして、あれはなんなのかと思います。