変化のあれこれ

辻井伸行のピアノ、ヴァレリー・ゲルギエフの指揮で、2012年サンクトペテルグルクで行われた白夜の音楽祭?だったか、そういうものを映像で見ました。
曲はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。

すでに8年前の演奏会の様子で、DVDなどにもなっているようですが、マロニエ君は今回初めてそれを見る機会があったわけですが、これがなかなかの熱演で聴き応えがあり、感銘を受けました。

なにより驚いたのは辻井さんのエネルギッシュで頼もしいピアノでした。
いつもの彼は安定したテクニックで美しい演奏はされる反面、もうひとつ迫真性というか、厳しさや踏み込みが足りず、もう一押しあればというところを感じるのですが、このときはロシアの音楽祭で、指揮はゲルギエフ、オーケストラも聴衆もロシア人に囲まれてチャイコフスキーを弾くということになると、格別の気合が入るのでしょうけど、少なくとも最近テレビなどで目にする国内外の演奏会ではここまで集中力を高めたものはそうお目にかかったことがありません。
やはり本場がもつ空気なのか、本気で挑んだものは違うというのがハッキリ出ていたように思いました。

辻井さんは、ここぞというときにガツンとほしいパンチや激しさ、あるいは人の心をいざなうような溜めやデリケートな深い歌いこみががほしいときに、スララと抜けていくところがありますが、そういう物足りなさがこの演奏では殆どなく、終始力強くコッテリ感もあり、コンチェルトのソリストとしてじゅうぶん満足感の得られる演奏を繰り広げていました。
こういう演奏は、いつもできるものではないのでしょうね。

伝統的に、何事も重厚かつロマンティックなロシアで、いつも通りの演奏をしていたのでは充分な喝采は得られないという判断が働いたのか、そのあたりのことはわかりませんが、とにかく立派な演奏でした。

また、非常に意外だったことは、ロシアのサンクトペテルブルクであるにもかかわらず、ステージに置かれたピアノはニューヨーク・スタインウェイで、これがまたなかなかの好印象なピアノでした。
細かいことを言えば完璧ではないのかもしれないけれど、基本が太く良く鳴るピアノで、ひとつひとつの音が研ぎ澄まされ磨きこまれたというものではないけれど、ピアニストの熱気や気迫にダイレクトに反応してくるという点では、実になんともコンサートピアノらしいもので、いつも行儀よくつややかな音を安定供給するハンブルクとは、いささか性格が異なる印象でした。

ピアノというものは、ただ美音で整っていればいいというものではないことを聴くたびに教えてくれるような気がするのが他ならぬニューヨーク・スタインウェイですが、どうも肝心のピアニストと技術者がそこのところを理解せず、リッチで整った音でよく鳴るだけのピアノをステージにあげてしまうのはなんとかならないものかと思うばかり。

マロニエ君はヴァイオリンのことはわからないけれど、一般的な知名度ではストラディヴァリウスであるのに対して、演奏家はより力強く野趣も持ち合わせるグァルネリ・デル・ジェスを好むのも、もしかしたら少し共通する要因なのかなぁとも思ったり。

しなやかさと野趣があり、どこまで責めても破綻せずピアニストより前に出ることなく、底知れぬ感じでついていくニューヨーク・スタインウェイの強靭な魅力は独特で、ヨーロッパや日本でももっと聴ける機会が増えたら良いのに…と思います。

辻井さん、スタインウェイ、それぞれに変化があって久々に楽しめました。