福間洸太朗

同じくBSプレミアムのクラシック倶楽部で、今度は福間洸太朗さんのベートーヴェンの視聴。
はじめは馴染みのない「幻想曲」で始まり、続いて「テレーゼ」「失った小銭への怒り」「熱情」。

福間さんのCDは一枚だけ持っているけれど、とにかくスラスラと指のよく回る方で、自身で編曲されたスメタナのモルダウはじめ、いろいろな技巧曲が集められたアルバムで、それらをあまりに右から左に苦もなく弾けてしまうので、なにやら身も蓋もないような、曲が素通りしてしまうような気になってしまったことを覚えています。

ずいぶん若い頃に、これまた演奏至難として名高いアルベニスの「イベリア」全曲のCDまで出すなど、よほどなんでも弾ける方らしいとは思っていたので、そういう方にとってのベートーヴェンなんて技術的には何ということもないものだろうし、おそらくはベートーヴェンイヤーにちなんだ取り組みの一環だろうと思いました。

この方は、マロニエ君のイメージでは、なんといっても爽やか系テクニックの人。
今回もその基本認識は変わらなかったけれど、では技術に明かしてガンガン弾きまくる人かといえば、そうではなくて自己顕示欲があまりないタイプなのか、どこか一歩引いたようなものも感じたり。
演奏スタイルはくせのない標準型で貫かれており、聴いていて何か神経に障るようなものはありません。
香り立つような詩情とか、精妙な歌いまわしとか、精神性みたいなもので聴かせる人ではないけれど、奇をてらわず素直で嫌味がないところが特徴だろうと思います。

この日の演奏でも、なんといってもこの人の魅力は危なげのないテクニックであり、それに支えられた押し付けがましさのない涼し気な演奏で、あえて分類するならフランス系の演奏ということになるのでしょうか?
自分の個性を出さんがため、よけいな表情や主張をつけない人だから、その演奏はストレスなく常にスムーズで、これはこれである種の気持ちよさがあるのも事実だなぁと感じます。

これぐらい手際よく弾かれてしまうと、さすがのベートヴェンにもどこか洗練された美しさを帯びてくるようで、しかも音楽的なメリハリなどはそれなりに気を配られているので、多少軽いものにはなるけれど、後味にもいやなものが残らないのも好感が持てました。

あらためて言うまでもないけれど、マロニエ君はテクニック至上主義ではありません。
それでも、ピアノを演奏するにあたって、とりわけプロのコンサートピアニストにとってのテクニックは、極めて大切な要因であることも間違いなく、現代の技術標準が高いとはいいながら、それでもなんとかギリギリ基準内に収まって弾いている人と、その中でさらに余裕をもって弾ける人との違いがあり、飛び抜けたテクニックを持つ人の演奏は、やはり聴く側としては安心感があって楽だし、悪い使い方をしなければ、テクニックそのものからくる美しさや魅力があることも認めないわけにはいかないと思うのです。

例えば多少なりともピアノに触れたことのある人なら、ベートヴェンのソナタなどを弾いた経験はあるわけで、なかなか思うに任せない箇所というのがあちこちにあって、技術的に苦しい思いをした記憶がある筈ですが、福間さんの手にかかるとそういうあれこれの問題がなかったことになっているようで、苦もなくなめらかに進むことの出来るのには感心させられます。

それと福間さんは、普通のどちらかというと細身の体格の方だと思うけれど、その音は普通に美しく、テクニック、解釈、音色、それからコンサートピアニストとしての容姿など、どれもが非常に高いところで兼ね備えられているという点で、普通に満足満腹させてもらえるピアニストのようです。

なんだか似たような記憶があるように思ったら、思い出したのは菊地裕介さんで、この人も苦もなく数々の難曲をまったく不安なく弾けるという点で、特別な方だと思います。
世界の10本の指に入るような、真の偉大なピアニストというのはそう居るものではありませんが、福間さんや菊地さんのように技術的には楽々とオリンピックレベルの人というのは、やはり大したものだと思います。