ワグナー4

ワグナーピアノはすでに書いていますが、オーナーはベテラン技術者さんであり、マロニエ君はあくまでそれをご厚意で拝借しているにすぎませんから、自分のピアノのように、そうそうあれこれと注文をつけるわけにもいきません。

倉庫での作業が早めに終了せざるを得なくなったこともあってか、搬入いらい、我が家に場所を移して二度にわたってずいぶん長時間調整を重ねられ、お陰様でかなりまとまってきたように思います。
二度目の調整の終わりごろ、次高音にちょっと気になるところがあり、そこを少し指摘したところ整えては頂いたのですが、それでももう少しという感じが残りました。

しばらくこれで弾かせていただこうと思いながらも、どうしても気になって恐る恐る連絡してみると、快く応じてくださり、なんと三たび工具カバンを手に訪問してくださいました。
こっちはお借りしている立場というのに…申し訳ないといったらありません!

ピアノに向かうなり、マロニエ君の気になっている点はすぐに了解していただき、さっそく整音が始まりました。
技術者さんもできるだけ納得した状態にしてあげたいという、その広いお心が身にしみます。

はじめはチョチョッと針刺しでもして、すぐに終わるだろうと思っていたら、だんだん作業にも熱が入り、気がついてみるとわずか1オクターブぐらいの整音だったものが、さらに左右に拡大し、2時間ちかく手を休めることなくやってくださって、果たして半音階で試しに鳴らして見られるだけでもハッとするほど、一段と上品な音になりました。

やはり、ピアノというのは整音ひとつでも、技術者さんが正しい方法で入念にやられると、それだけの結果がしっかり出るものだということがあらためてわかります。
しかし、それには技術者さんの手間と時間、すなわちコストがかかることなので、時代とともにそれを容赦なく省く潮流となってきたことは、実力を発揮できないままの状態でユーザーのもとに届けられるピアノが多いということでもあり、これはピアノにとっても弾く側にとっても非常に不幸なことです。

ピアノの入念な調整や仕上げは、極めて大事だけれどそれだけ人手を要し、しかも結果は弾く人全員がすぐに理解できるとは限らないものなので、見方によっては費用対効果が低く、しないならしないでもビジネスは成り立つという割り切った考えに拍車がかかったのでしょうね。
故障ならともかく、今どきのように極限までコスト/効率を追い求める時代には合わない仕事なんだろうと思います。

ところで、これまで書き落としていましたが、ワグナーピアノの驚くべき点はいくつかありますが、そのひとつとして全音域すべてがしっかりと力強く鳴るところだろうと感じます。
普通はグランドと言っても低音になればなるほど巻線特有の情けない音になって、ビーンとかゴンとかいっているだけのピアノもあれば、高音域も最後の1オクターブなどはカチャカチャいうだけで、パワーも音程も減退する場合が多いけれど、ワグナーはその両端まで少しも曖昧になるところなくしっかりした音だし、高音は最後までパチッとした目の覚めるような音が冴えわたり、音程も明快で曖昧なところがありません。

こういう高音域の張りのある美しさは、たとえばラヴェルのピアノ協奏曲の第二楽章の後半など、繊細な音階の美しさが止めどなく続くような曲では(ちゃんと弾ければの話ですが)、明晰とデリカシーが両立して、ハァァとため息が出るようです。

具体的なお名前は出さないでおきますが、フランスで学ばれて一時代を活躍された日本人ピアニスト(今春、天寿を全うされた由)のCDに、2台のプレイエルを使って録音されたドビュッシーのアルバムがあります。
どうやらご自身所有のピアノでもあるようですが、そのうち前奏曲集第一巻の演奏に使われているのは1962年製のプレイエルの小型グランドの由です。

プレイエルは戦後経営難が続いて、1970年代にはドイツのシンメル社に生産移管されて、ついには名ばかりのプレイエルを作るに至りますが、そういう意味では最終期のフランス製だということだろうと思われます。
とはいえ、この時代のプレイエルは苦境に喘いで他社と合併などを繰り返すなどして、これをもって真正プレイエルを名乗るには、いささか疑問視されるところも感じます。

演奏はフランス仕込みのさすがと思えるものですが、ピアノ自体の音はというと、悪くはないけれどとくに見るべき点もなく、かつてのようなフランス的な享楽と憂いが同居しているわけでもなく、響きもごく普通のややくぐもった印象。
それに比べたら、広島製ワグナーは、音色そのものは往時のプレイエルのようななまめかしさや、エラールのような端正さとは違うけれど、少なくとも湧き上がってくるような響きの点など、たとえば「沈める寺」など、こっちのほうがはるかにおもしろいピアノだったかも…などといろいろと想像させてくれます。

広島製ワグナーの生産が途絶えた1960年代あたりから、大手大量生産のピアノの台頭も佳境に入り、その多大な貢献は計り知れないものがあり、とりわけピアノの普及という点では圧倒的だったと思いますが、同時にこういう楽器臭や個性を色濃く感じさせるピアノが生き残っていられる環境が少しでもあったなら、日本のピアノ界も今とはずいぶん違ったものになっていたことだろうと思うこの頃です。