先回、楽譜のことを書いたのでそれにまつわること。
マズルカの楽譜を新調したパデレフスキ版は、製本は日本で行われたものだったので、むかしの輸入品のような品質(紙質も悪く、破れやすかったり、どうかするとページが外れたり)からすれば、ずいぶんキチンとしたきれいな本です。
それでも、本としてはまったく問題がないわけでもない。
紙の綴じ方の大事なところに歪みみたいなものがあるのか、どんなに強く、何度ギュウギュウに開いても、いつしかぺら〜んとめくれてきたりと、つまらないところで使いにくい。
また、国内出版社の楽譜は印字・印刷が鮮明で見やすいのに対して、パデレフスキ版は、全体にぼやっとしていて、これが日本並みにきれいだったらどんなにいいだろうと思います。
その点では輸入物はあまりきれいじゃないことのほうが多く、中でもフランスの楽譜などは音符は小さく、おまけに何度もコピーを重ねたように不鮮明で、まるで際どい筋から手に入った極秘文書のよう。よくあんなもので売り物になるなぁと思うし、最近は買わないけれど昔のペータース版などは、紙はバサバサであっという間にぼろぼろになり、一冊などはついに真ん中から真っ二つにちぎれてしまったりと、それはもう惨憺たるものでした。
また出版社によっては、糊がはみ出して、ページによってはそのはみ出した糊部分をわずかに破りながら開かざるを得ないものがあったりと、まあとにかく満足なもののほうが少ない印象があります。
そういう意味では日本の楽譜は、海外物に比して日本製品がいかに良心的な作りかと思わせる確かなクオリティがあり、楽譜ひとつからでも、あまたの日本製品が海外で高い評価を得ている理由がわかる気がします。
その点では、印字の鮮明さやページの美しさ、製本の確かさ、妥当な金額と内容の信頼性というトータルでは、ウィーン原典版などは総合点は高いですが、あれも日本で製本されているものなので、これも日本製と見るべきか?
製本や紙質、使いやすさでは、全音楽譜出版社のものはさすがに安定しており、開くのにもさほどの苦労もせずに済むし、それなりのタフさも備えていおり、おそらく使い勝手や耐久性も考慮されているんでしょうね。
音楽之友社もそれに準じるし、総じて日本のものは使いやすく、かつしっかりしている感じでしょうか。
輸入物ではヘンレ版などはさすがはドイツ製故か、まあまあ使いやすく、内容的な信頼度は高いけれど、むかしは今よりも質は劣ったし、例えば海外のものはどうして表紙をもう少し厚手の頑丈なものにしないのかなど不思議です。
とにかく楽譜でいやなのは、クリップで留めるか、他の楽譜で左右を押さえるかしないと、開いた状態がどうしても維持できないもので、弾いている最中に、絶えずそんな余計なエネルギーを使わされるのはゴメンです。中には相当頑固に、まるでこちらに反発してくるような楽譜があって、必要なページを安定して開くだけでも、力の限り押し付けたり、楽譜そのものを逆方向にへし折れるほど強く曲げたりと、ほとんど虐待に近いようなことをあれこれやってみますが、それでもなかなか思い通りにはなりません。
たとえば春秋社の楽譜などは製本が頑丈なのはいいけれど、これが楽に使えるようになるには「数年」はかかり、やっとそうなったときには、楽譜の方ももうヨレヨレです。
これまでにも何度か怒りも極まり、アイロンでもかけてみようかとか、金づちで叩いてみようか、あるいはダンボールに挟んでクルマで踏みつけてみようか…などとあれこれ思ったこともありますが、そこまでしたらさすがに本が壊れそうで、まだ実行には至っていませんが。
楽譜というものは、まず譜面台に置いて必要なページを労せず見られるということが、基本的な機能であるはず。
そんな当たり前のことができないために、なぜこんなよけいな苦労をしなくちゃいけないのかと思うし、これは子供の頃から長年不便に感じていることですが、いらい何十年経とうとも、巷ではどんなに技術革新がおきても、こんな単純なことが旧態依然として変わらないのは、まったく解せません。
最近は、その解決の一つなのか(本物は見たことがありませんが)テレビや動画でよく目にするタブレット端末に楽譜が映しだされ、それをピアノの譜面台のあたりにピョコッと立てて、演奏しながらチョンと指先で触れると先のページに進むようですが、あれもなんだか…。だいいち、必要時に書き込みなんかできるんですかね?
プロのピアニストが、他者との共演とか暗譜が完全でない場合に、補助的に見る程度の事なら便利なのかもしれませんが、個人的に鑑賞者の立場で言わせてもらうなら、本番の演奏でああいうものを使っている光景というのは、偏見かもしれないけれどビジュアルとしてはあまり心地よくはありません。
いま演奏している人が、手はピアノの鍵盤上を動きながら、目は液晶画面ばかりを見ているということが、スマホなどに通じるものがあって肌感覚でいやなんだと思いますが、これがつまり「偏見」なのかもしれませんね。