ショパンコンクールと反田恭平さんについては、もう充分に書いたので終わりにしたつもりでしたが、 そんなタイミングでNHK-BSプレミアムで『反田恭平 ショパンコンクールを語る』という番組があったので、ならばもちろん見ないわけにはいかないし、見れば見たでしつこいようですがその感想など。
これまで反田さんについて書いてきたことで訂正したいことは自分としては特にないので、そのあたりは極力重複しないようにしながら、今回の番組を見て感じたことを中心に書いてみたいと思います。
1時間45分という長時間ものでしたが、第一次予選で80人からスタートする国際コンクールであるにも関わらず、徹頭徹尾反田さんひとりに特化した内容で、テレビ番組というものは作り方次第でどうにでもなるものではあるとしても、競い合った他者すべてを遮断して、それによって何かに触れなかったという印象があり、これは正直いって不自然だと思いました。
視聴者としては、反田さんという気鋭の人物がどのような環境で、どんなコンテスタントたちと競って第2位という結果を獲得したのか、それをも凌ぐ優勝者とはどんなピアニストなのか、他のピアニストはどういう演奏をしたのか、さらにはすぐ下に小林愛実さんという4位の日本人がいたことも一言も語られないというもので、なにか作為的な方針の作りだったように感じました。
そこには、そうせざるを得ない理由があったのだろうと却って勘ぐってしまいますが、その点もこれまでに述べてきたことなので、ここではもういいでしょう。
ただ、真実に迫らずにきれいなことだけを並べるという世の風潮は、ますます強まっているように思います。
反田さんは喜びの部分だけをほがらかに語っていたけれど、内心では憤懣やるかたない悔しさもあったのではないかと思いますが、これはあくまでマロニエ君の想像なので、本当のところはわかりませんが。
しかし、もし仮にそうだとすると、それを受け容れて明るく前を向いている彼は、とても立派だったと思います。
さて、反田さんの魅力は、いまさらいうまでもなく突出して上手いことではあるけれど、決してそれだけではないことは多くの人が感じていることでしょう。
一般に日本人でプロを目指してピアノをやってきた人というのは、概ね共通した独特の雰囲気があり、とくに男性に限っていうと、だいたいひ弱で、気取ったイメージで、プライドが高くておまけにクラい…といったら叱られそうですね。
中には、ことさら専門的なことを言ってみせたり、あるいは妙な「天然」ぶりを強調した振る舞いをしたり、要は自分がいかにこれ一筋に打ち込んで、留学して、ああしてこうしてという、普通の人とは違うんだという、特別感を出すことがひとつのスタイル。
それでも、それに見合うだけの演奏をなさるならともかく、大半はひとことでいってイヤミなアピールにほかならず、見ているこっちが疲れてくることも少なくありません。
その点、反田さんは普通の健康男子で、いい意味での野趣がありざっくばらん、ごく普通の口調で、普通に話が出来る雰囲気を持っておられるところがこの世界では新鮮で、この点もウケている理由でしょう。
必要以上に威張ることも、行き過ぎた自己アピールをすることもなく、至って常識的なのだけれど、これがピアノ弾きという種族には意外に難しい。
コンクール対策にも自ら語り、それは相当なものだったようで、ワルシャワには4年住み、曲目の選定にあたっては過去2回の出場者と、成績と、そこで何を弾かれたのかということを徹底的に調べ上げたのだそうで、それは実に800曲にも及んだのだとか。
プログラム構成も評価の対象とは思うけれど、こういうところから曲を選択するというやり方は、いささか馴染めないものでした。
これは今どき国際コンクールを受けるにあたって、一定の結果を残すためには正しいことなのかもしれないけれど、個人的にはこの発言には危惧を感じました。
なぜなら、そのやり方はこの先の日本のピアノ教育界には多大な影響を及ぼすだろうと思われるし、すべては対策こそが最優先され、それが正義として標準化されていくのかと思うと、複雑な気分にならざるを得ません。
ショパンコンクールが尋常一様なコンクールでないことは先刻承知ですが、出場対策もそこまで先鋭化しなくてはならないというのが、もうこの段階から気持ち的についていけないし、マロニエ君はやはりそれよりは、多少の考慮はあるとしても与えられた条件の中から自分が好きな曲、弾きたい曲、得意な曲を選び出し、それに全力を尽くす…そういうものであって欲しい。
もちろん、コンクールだから結果を出さなきゃ始まらないといえば、それはたしかにそうなんですが…。
これは現場を知らない、シロウトの単なる甘っちょろい理想論かもしれないけれど、ただ、ひとつだけ圧倒的に自信をもって言えることは、だれよりショパン自身がこういうことは最も嫌いだろう、ショパンの精神に反するものだろう…という気がしてなりません。
動画配信で何度も見た反田さんの演奏をあらためて番組内で聴いてみて、やはりそこにはしたたかな準備を重ねてきた者だけが到達する、最高度の技が披露される特別な様子を感じることは出来たけけれど、それはショパンの世界に身を委ねて酔いしれるものではなく、あくまでも世界最高権威のピアノコンクールでのパフォーマンスであり、ご本人も「ピアノのオリンピックでありワールドカップ」と仰っていましたが、まさにそのフィールドで展開された競技のひとコマであると思いました。
ちなみに、例えばですが1980年の映像を見ると、このとき優勝するダン・タイ・ソンの演奏は、音も朗々と鳴り響き、作品が有する自然な山坂やドラマを聴く者は一緒に辿ることができる、音楽上の熱いハートがありますが、そういうものは21世紀以降は完全に消滅したように感じます。
ところで、以前から反田さんは誰かに似ていらっしゃるような気がするのに、それがだれだか一向に思い出せずに悶々としてきましたが、この番組をテレビで見ながら、フッとわかったのは聖徳太子でした。
古いお札で親しんだあの飛鳥時代の人物がピアノを弾いているみたいで、だから反田さんにはどこか日本人の意識の奥底にある懐かしさみたいなものが呼び覚まされてくるのかもしれません。
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これでアップしようと思っていたら、翌日夜22時から、今度はNHKのクローズアップ現代で再びショパンコンクールをやるというので、さっそく録画して見てみると、こちらは帰国した小林愛実さんをスタジオに招いて、彼女と反田さんは幼なじみでもあるという二人の挑戦を軸に、小林さんに比較的スポットを当て、反田さんは折りに触れ出てくるといった内容でした。
前日が反田さんオンリーの内容だったので、これで少しはバランスを取ったというところでしょうか。