野心解禁?

今回はわざわざお名前を出すのもどうかと思い、敢えて出さないことにしましたが、もちろんわかる人にはわかるお話。

このところ、ショパンコンクールで入賞した人はというと、やたらとメディア出演を繰り返し、まさに日の出の勢いですね。
ちょっとやり過ぎという感じが漂いはじめて、いささか胃もたれがしそうです。

メディアは演奏そのものへの取り扱いではなく、ピアノのオリンピック・メダリストとしてのヒーローのノリだし、くわえてご当人が語るコンクール出場へのストーリーなどがいかにもなもので今の時代に好まれるのか、メディアも食い付きやすいのでしょう。

ところが、最近になってその発言もちょっと首を傾げるようなところが目立ってきて、話の筋道がぶれてきているように感じるところもあり、これはいささか首をひねりたくなりました。

すでにじゅうぶんな知名度も得ていたこの人が、年齢的にも最後のチャンスといえるタイミングでなぜいまさらショパンコンクールにあえて挑戦したのか?というのがよく出てくる質問です。
はじめは、小さいころからの夢の舞台で、あのワルシャワのステージでショパンを演奏することが見果てぬ夢であったというようなことを仰っていましたが、それならばピアノの世界なんだから、もっと早くに出場しても良かったのでは?とコンクールを知る人なら思うはず。

また、長年ピアノを弾いてきた中でショパンというのはとくに好きで、常に自分の心の拠り所であり、どんな局面においてもショパンを弾くと心が慰められ落ち着く、自分にとってはそんな特別なものだったとも。
しかし、ショパンがとくに好きなピアニストかどうかは、いくらかピアノ音楽が好きな人なら聴いていればおおよそ察しがつくもので、この方はショパンはむしろ苦手だろうとお見受けしていたし、あまりなじまないので、さほど好きでもないんだろうなという印象がありました。

だから、この方がショパンコンクールに出場されるということを初めて知った時は「エッ!?」というものだったし、それほどこの方とショパンは(他人から見て)親和性がなく、とても意外だったことをいまでもよく覚えています。
なんといっても、この方はテクニシャンでCDデビューの頃はオールリストだったような気がするし、同時期の別のCDでもシューベルトのソナタなどは、どこか学生が仕方なくで弾いているようで、そういう個性の人だというイメージでした。

この方は大変な野心家のようだから、そんな人がショパンコンクールに出るということは、熟考の末そういうプランが練られたのでしょう。人はだれもが自分の行く末を考えるものだから、それを悪いと言っているのではありませんが、なじまないものとはどうやったってなじまない。

さらに後に知ったことでは、ショパンコンクール出場のためワルシャワのショパン大学に4年も留学し、全方位的な準備を整え、それは肉体改造にまで及んだと知り、ただただ驚きでした。
なにごともやる以上は、徹底して挑むタイプで、それは見上げたことではありますが。

そうはいっても、今年はコンクール出場の年でもあるというのに、オーケストラを株式会社として起業し自ら社長に就任するなど(陰に実務者がいるとしても)およそ音楽家離れのした行動力と野心には驚くほかはありませんでした。

ショパンコンクールについては、あるインタビューでは予選敗退するかもしれないけれどあこがれの舞台でショパンを弾きたかったといったえらく純情なことを言っておられたけれど、ここ最近ではその私設オーケストラを海外へと羽ばたかせるために、無名では相手にされないから、まずは代表の自分が有名になる必要があったんだともいっていたり。
べつに政治家ではないから、うわべの言葉の違いをいちいちあげつらうつもりはないけれど、そのつど発言がコロコロかわるのは、心底にあったのはやはり野心であり言葉は後付であったような印象は残ります。

さらに自身で語るところでは、この人の最終目標は世界に羽ばたく音楽家を育てるための学校を作ることだとか。
そうなると、ピアノを弾き、オーケストラを社長が指揮をし、企画運営をし、メディアの寵児となることも、すべては学校設立のためという建前で事後承認させてしまうようで、その策士ぶりとバイタリティーにはため息しか出ません。
オーケストラ設立の理由については、今は多くのとても上手い子であっても演奏機会が乏しく、それをなんとかしてあげたいという親分肌、学校設立については、海外へ留学するのではなく海外から人が学びに来られるようなものにしたいという教育への欲求、その抱負は、功成り名を遂げた自分が世間にお返しするかのような、私利私欲じゃない崇高なもののように語られます。
本当なのかもしれませんが、どうも、自分の拙い人生経験からしても、あまりにも整いすぎたようなお話で、聞いていてどうもしっくり来ないのです。

まだ今は、演奏家としての謙虚なふるまいとか、物事が熟す時間というのは必要じゃないかと思うんです。
なにも、ポリーニのように優勝しても尚、大半のオファーを断って、ストイックに10年もの勉強に打ち込めと言っているわけじゃありませんが、コンクール終了のわずか一ヶ月やそこらで、これほどの抱負を語って回るのは(世間的に立派に映るのかどうかはしらないけれど)、個人的なセンスとして受け止めきれません。

もちろんクラシックのピアニストといえども、これからはただ旧態依然としたステージ活動をやるだけではなく、新しい発想やプランも必要かもしれませんが、あまり拙速にすぎると、話題性はあっても真の評価や確固とした立ち位置は掴めないような気がします。

いっぽうメディアも、日頃は音楽なんて無視しているくせに、こういう話題にはひきもきらず群がってくるところに、現代のいやらしさを感じます。
いま思えば昔のブーニンフィーバーのほうがまだ可愛気ぐらいあったような気もします。

この人の安定しきった指さばきには注目すべきものがあり、日本人初の優勝者となり得るのか?と思った時期もありましたが、こうも生臭いことが次々にわかってくると、なんだか無性に普通に音楽を聴きたくなってきて、しばらく昔の巨匠の演奏にでも浸ってみようかと思っています。