今年も終わり

早いもので今年ももうあと少しで終わろうとしています。

この2年、コロナに翻弄されるばかりで、しかもまだ終わったわけでもない。
政府などは「熱物に懲りて…」なのか、ここへきてやたら慎重な姿勢を崩しませんが、どうもウイルス自体は弱毒化しているという意見もあって、マロニエ君はそちらに希望を繋ぎたいと思っているところです。

今年の秋にはショパンコンクールが1年遅れで開催され、ご丁寧にネット中継などあるものだから、今回ほどこれに夜ごと時間を取られたことはなかったし、見れば見るほどコンクールってなんだろう?その功罪とは?…というような後味ばかりが残りました。
そして、他国のことは知らないけれど、日本国内ではメディアなど普段はピアノなど目もくれないくせに、上位入賞という結果だけには食い付いて騒ぎ立てるというあの様相にも辟易しましたね。

もうお腹いっぱいと思っていたら、25日の夜にNHKがまたもトドメの番組をやっていて、だったら止せばいいのに、つい録画して見てしまいましたが、いまやピアニストもアスリートと同様、純然たる競技人というのがマロニエ君の結論です。
古代ローマの剣闘士の時代から、人間はこういうものが本質的に好きなんでしょうね。
その番組の感想は…もうさすがにやめておきます。


今年は、偶然も重なり、知人のピアノ好きの方や技術者さんとの間で沸き起こった相乗作用もあって、ネットでひょっこり出てきたお値打ちピアノを身近で3台もゲットするという、今後もおそらくないであろう急展開がありました。
東京蒲田時代のシュベスターグランド、1955年から広島でわずか9年間製造された超レアのワグナーグランド、さらにはイースタインのトップモデルたるB型の初期モデルです。

外観こそキズもあれば、長い年月を経てきた風格満点ですが、どれも誇張なしに本当の楽器の音がして、ボディ全体が鳴り震えるような力強さが健在だったり、あるいは弾く人の息遣いまで寄り添ってくれるような反応だったり、現在国内で販売されるいかなるモデルも、このように人と楽器が一体化するような喜びを提供できるピアノは、果たしてどれほどあるだろうか…と思います。
現代のピアノは機械精度としてはかつてない領域に達しているのかもしれませんが、悲しいかなハイテクや合理化の影があまりに強く、ただきれいで正確な音階が出るだけなら、電子ピアノと大差ない気もするのです。

マロニエ君が思うに楽器に大切なことは、よく鳴る、音が美しい、など基本は当たり前ですが、なによりそこに存在することが嬉しくて、つい触れてたくなる、音を出したくなる、そんな気にさせてくれるものであることじゃないかと思います。
温かい体温みたいなものが欲しいのに、現代のピアノはその点がどうも逆というか、まるで冷え性の人のような気がします。

佳き時代の欲しいピアノはまだありますが、ピアノ趣味の最大の障壁になっているのは、ひとえにあのサイズにほかなりません。
そのお陰でなんとか踏みとどまざるをえないのは事実で、もしピアノがヴァイオリンやフルートぐらいの大きさだったら、大変なことになっていたように思います。

そのサイズは設置場所のみならず、運送費問題も引き起こし、もしどこかでお宝発見しても、移動だけで相当な出費となることは避けられません。
もしこれに置き場問題がなく、自分の交通費だけでひょいと手に持って帰ってこられるようなものだったらと思うと我ながら恐ろしく、ピアノのあのサイズと重量が圧倒的なブレーキの役割になっているのは間違いなく、結局はそこに救われているのかもと思います。

骨董などの蒐集好きの方が、自宅はガラクタであふれかえり、時にそのための倉庫まで建てるなんて話がありますが、ピアノの場合は10cm動かすのも自由にならないサイズと重量ですから、そこに救われているのかもしれません。

それでは良いお年をお迎えください。