巨匠たちのショパン-1

ショパンコンクール以降、あまりにも現代の演奏を聴きすぎてしんどくなり、しばし昔に戻ってみることにして、ブリリアントレーベルのショパン全集を取り出してみました。
全30枚のCDボックスセットですが、No.18以降は歴史的ピアニストによるショパン演奏になっています。
昔の演奏は、個性もあり、キズも、ヘンな癖や表現もあるけれど、音楽への深い世界というものがしっかりしているのか、ともかく現代人のここまでやるか?というような計算高さのようなものがなく、演奏者の正直な心に触れられるようで、その点だけでもホッとします。

[ラフマニノフ]が2番のソナタを弾いていたりしますが、これひとつを聴いても彼がピニストとしてもとてつもない巨人で、ショパンにはあまりに尺が大きすぎるのか、表現も雄渾に過ぎてなにか規格が合っていないようなところがあり、すべてがケタ違いのピアニストという印象を受けました。
それもなにか意表をつくことをしようというのではなく、彼自身の内側からいやがうえにも湧き上がるものがあり、しかもそこにはゾクッとするようなデモーニッシュな魔物がうごめいているようで、なんだかちょっと恐ろしいような気になりました。
一聴の価値はあるとは思うけれども、マロニエ君にとっては、そう何度も好んで聴きたいショパンというのとは少し違う、これは別世界です。
おなじCDに収められている[ブライロフスキー]の演奏が、ずいぶん常識的な現実の世界に戻ってきたように聞こえました。

まだ、たった3枚しか聴いていませんが、その中で非常に意外な感じを受けたのが、[ゴドフスキー]の演奏でした。
もともとゴドフスキーをどうこう語れるほどにはよく知らないけれども、この人の名を聴いてすぐに思い浮かべるのは、超絶技巧を用いた多くの編曲や自作で、J.シュトラウスのワルツなどは、聴いているだけでも分厚い技巧を要する、じっとりと汗が滲んできそうなそうもの。とくにショパンのエチュードをもとに、大幅に手を加えてさらに演奏至難にした53の練習曲などはいただけない気がするけれど、とにかくこの時代背景もあるでしょうし、超絶技巧を誇る魔性の人というイメージでした。
そんな強烈なイメージばかりが先行して、考えてみたらこれまでじっくりこの人の演奏を聴いたとは言えず、ましてショパンをどんなふうに弾くかなど、さして関心を持たないままにきたような気がします。

ところが聴こえてきたのは、およそそんなイメージとは裏腹のデリケートな演奏で、「えっ、ゴドフスキーってこういうピアニストだったの?」というものでした。
曲目はop.9-2から始まるノクターンが10曲、それにソナタの2番。
ショパンに対する最上の敬意を払った、繊細で丁寧な語りが切れ目なく続き、あんなとてつもない編曲をやってしまう人とはまるで結びつかず、困惑さえ覚えるほど。
たとえば冒頭第1曲に収められた、あの有名な変ホ長調のノクターンも、ひたすら美しく深い吐息を漏らさずにはいられない演奏で、よほどショパンが好きだったに違いないこと、さらには作品に対する深い愛情と理解があったことを、これひとつを聞いただけでも感じさせられました。
これは1928年の演奏で、90年以上も前のものですが、なんとも素晴らしいものでした。

続いて聴いたのは[ソロモン]。
この人はベートーヴェンなどでそれなりに馴染みのあるピアニストですが、さすがは歴史に残る巨匠というだけあって、ショパンを弾かせてもそれはそれできちんと弾きこなす力を備えた持った人で、違和感なく安心して聴けるタイプの演奏。
マロニエ君が知らないだけかもしれないけれど、この時代のイギリスの音楽家というのはさほど輝けるイメージはなく、その中ではソロモンはかなり有名でもあり数少ない存在だったと言えるのでは。
イギリスの演奏家の多くに見られる特徴のように思いますが、演奏者自身の感覚や個性を前面に出すのではなく、あくまで作品に対して礼節と調和をもった、そつのない演奏スタイルというか、よく言えば誠実で信頼性が高いけれど、いまひとつ強い魅力があればと思わせてしまうところがあり、物足りなさを感じさせないでもないけれど、とはいえ、ごまかしのないしっかりしたテクニックの上に、どの曲も形良い花を手堅く咲かせるという意味では、尊敬に値する立派なピアニストだと思います。

なかでも印象に残ったのはベルスーズ(子守唄)で、これ以上ないほど落ち着いていて、全体にたっぷり深く響いていてやわらかな調子が全体に貫かれ、日常とは距離を置いたかのような空気がゆっくりとやわらかに流れていくさまは、やはり大したものだと思いました。
ショパンのベルスーズは、いかに装飾音を見事に弾けるかを見せつけるような演奏の多い中、ソロモンのようにエレガントに徹した演奏は逆に新鮮でした。

続く[リパッティ]は、その流れ出る音からして天才然とした光に満ちていて、ハッとさせられるよう。
くわえて、あの有名なワルツ集に聴かれるよう、全体にこの人の生まれ持った洒脱さが溢れており、ショパンに耳を傾けているつもりが、気がつくと、いつのまにやらリパッティの世界に引き寄せられている。
耳を凝らすと、リパッティ自身のセンスの好ましさ、切れ味よいピアニズムが主軸となって、必ずしもショパン的ではない瞬間も散見されるけれど、魅力にあふれた鮮やかな仕上がりによって、まったくそのように聴こえないばかりか、むしろショパンに直に触れているような気になってしまうところが、このピアニストのカリスマ性だろうと思います。

ブザンソンの告別演奏家では力尽きてついに演奏されなかったop.34のAs-durのワルツも収められていましたが、出だしからものすごいスピードと華麗さで開始され、これがもし同じテンポで、別の腕自慢のピアニストがやったならいっぺんでまゆをひそめられるだろうに、リパッティの手にかかるとそれがむしろ垢抜けた、目から鼻に抜けるような趣味の良い演奏のように聴こえてしまうあたり、やはり大したものだと思いました。