おぞましさ!

ネット動画をあてどもなく見ていると、運悪く、個人的に不愉快に感じる投稿に行き当たりました。
そして見なきゃいいのに、見てしまったのです。

それは不要になったピアノを、処分費用を安く済ませるために、なんと自分で解体し廃棄するというもの。

ピアノが不要となって処分するというのは珍しいことではありませんが、業者に問い合わせをしたところ値は付かず、逆に引取料として数万円…という金額を提示され、そんな出費になるなら「自分で解体して火葬場送りにする」という宣言のもと、その作業経過を動画にしてアップしているというものでした。

興味のない人にしてみたら、ピアノはジャマな粗大ゴミなのかもしれません。
とはいえ、個人レベルでそれを破壊しつくして処分行為に及ぶこと、さらにはそれをオモシロ動画としてアップするという文化の心のかけらもない感性には、嫌悪感と残酷性のみを覚えました。

その対象となったピアノは、見るからにどうしようもないようなオンボロなどではなく、むしろじゅうぶんにキレイな感じの、つやつやした木目のアップライト(しかもメーカーは今はなき日本の優良メーカー!)で、その家では不要品かもしれませんが、楽器として廃棄するようなものではなく、まだまだ使えそうに見えるいい感じのものでした。
マロニエ君の身近だったら、解体処分なんてあまりに可哀想で、後先考えずにもらってくるかもしれません。

撮影者の男性と、作業を手伝う知人らしき男性が、なんの躊躇もないまま、平然と会話をしながら作業はスタート。
ピアノの知識もないようで、手順も何もないまま手当たりしだいにネジというネジを外し「あ、これ真鍮なんだ!」「真鍮ってメルカリで売ればカネになるか?」みたいな会話とともに、作業は情容赦なく進み、アクションも外さずに鍵盤をボコボコ引き抜いたり、フタでも何でも外れたら無意味な歓声を上げるなど、それはもう目を背けたくなるようなもので、動悸を覚えました。
真鍮ネジでメルカリという発想があるのなら、ピアノ殺害という道ではなく、どうして「タダで差し上げます」ぐらいのことはできなかったのかと思います。

解体のほうは、室内でできる事が終わると、外のベランダのようなところに運び出され、よりハードな段階に突入。
弦はすべてバチバチに切断され、電動ノコで鍵盤蓋から何から羊羹でも切るように何もかもがザクザクに切り刻まれてしまい、ピアノに対して何の感情もない、興味のかけらもない人だからこそ出来ることでしょうけど、それってすさまじいもんだと思いました。
ふと、バラバラ殺人ってこんなものだろうか…と思ってしまうようなもの。

ピアノってダンパーが外されると、ちょっとした衝撃にも響板がゴーンとかガーンとか不気味な響きを発するのが、まるで断末魔の叫び声のようです。

もちろん、いかにマロニエ君だって、すべてのピアノが人から愛されるものだなんて、そんなお花畑みたいなことは思ってはいませんが、とはいえ物には物の、誰が決めたわけでもない値打ちとか、さすがにやってはいけないことといった、暗黙のルールというか節度みたいなものは「ある」と思うのですが…。

もちろん、業者さんは最終処分にあたってはやっていることかもしれませんが、それは人の目に触れない場所での職務としての作業であり、自分の家のピアノをおもしろがって、ゲタゲタ笑いながらやることではなかろうと思います。
まして、その様子が動画に撮られてネットに公開されるとは、このピアノもよくよく所有者に恵まれなかったというほかありません。
おそらく、いつの時期かまでは、その家のだれかが弾いていたピアノでしょうに、ただ使わなくなりその処分代の倹約というだけの理由で、こんな野蛮な行為がスイスイ出来るというあたりが、余計にむごたらしい気がしました。

医者でも自分の家族の手術はできないとか、やはり人間にはそういった感情ってあるものだと思っていました。
ペットの殺処分に嫌悪感を抱きながら、牛肉や豚肉をとくに残酷という意識もなしに食べていたりするわけで、そういう意味では人間は矛盾だらけとは思います。
でも、それらが処分されるときの現場は、普通の人の目には触れられないようになっているのはせめてもの配慮でしょう。

ピアノは冷徹に見れば所詮はモノであって、それを所有者の意志でどうしようが、法に触れないかぎりは自由なんだといえばそうなんでしょうけど、どうしようもなくおぞましい気がしてなりませんでした。

動画の最後に、処分にかかった費用は2000円強というような数字がドーンと出ましたが、こんな残虐行為を敢行しておいて、これだけ安く済んだよ!ということが、そんなにもジマンすることなのか…。
もちろん、人でも物でも最後というのはあるわけですが、そこに「終わり方」というのはあると思います。

関連動画でピアノを解体するというものは他にも出てきましたが、それは役目を終えた古いピアノが、静かに分解されて寿命を全うしたという納得感があり、まだしも「尊厳死」という感じのするものでしたが、それに引き換え、この解体は不幸にも愉快犯に殺害されたという感じでした。
それも、あろうことか近親者の手にかかって!!!

断じてああいう行為は容認できるものではありません。

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ときどきメールを頂きますが、思わず膝を打つようなものがありました。
ひとりで読むのはもったいないので、掲載許可を求めたところ快諾していただいたので、以下ご紹介します。


へんな動画おおいですもんね。
世の中なんだか、みょうな合理主義精神がはびこってへきえきしてます。
「断捨離」なんてことばがもてはやされたり・・・
もちろん、いらないものに囲まれていたらいろいろ困った問題が起こる。それは否定しませんし、持ち物は多すぎないほうが精神衛生上も好ましい、とも思います。
でも、いっぽうで、長年ともに時をすごした品物を「捨てる」という行為に なんの躊躇も抵抗も感じない、ましてや破壊してそれを成果と見なすとしたら、それは精神の退廃であると思います。「無用の用」ということだってあるし、そうじゃなくても、物を捨てる、という行為は、そのものにまつわるいろんな思いを捨て去る、ということでもあるわけですから。そこになにも感じない、ただ、「せいせいした」としか感じないひとはわたしはおそろしいと思います。
そのようなひとたちは、人間に対しても「こいつはじぶんの役に立つか?こいつとつきあってるとなにか得することがあるか?」と、そういった観点でしか向き合わないに違いありません。