またもテレビで…

もうお腹いっぱいになっていた筈なのに、ショパン・コンクールの番組がまたもNHKで制作・放送され、やっぱり無視できない情けなさで不本意ながらも見てしまうことに…。
ただし、気がついたのが放送開始後、約30分経ったころで、新聞で見つけてすぐ録画したので、2時間番組のうち1時間半しか見られませんでした。

今回は日本人出場者にフォーカスするのではなく、コンクール全体を捉えた番組構成で、その点ではこれまでとは違った面白さがありました。
スタジオには男女のNHK司会者と、審査員をつとめたピアニスト、小説家の平野啓一郎さん、そして現地でコンクールを聴いたという若手ジャーナリスト、計5人によるお話と進行、さらにその折々に演奏の様子を紹介していくというものでした。

ちなみに、平野さんといえばショパンとサンドとドラクロワらを中心とした、ショパンの晩年から死までの数年間を描いた小説『葬送』の作者で、むろんマロニエ君も読みましたが、当時のパリの空気や芸術家のありさまが活き活きと描き出されており、4冊にもおよぶ長編力作ですが、非常に充実した作品であることは、ご存じの方も多かろうと思います。
とりわけショパンやドラクロワの芸術家としての活動の様子、さらにはそれらを取り巻く人物を、体温を感じるぐらいリアルに目の前に蘇らせた手腕や、史実の綿密かつ膨大な調査力、さらには死に至るまでのショパンの筆舌に尽くしがたい病との戦いなどが克明に描かれ、知らないことも数多く、この小説から得るものは非常に大きい稀有な作品でもありました。

番組の話に戻ると、コンクールも終わって一定の時間が経過したいま、コンクール全体を総括するようなものでしたが、なんだか結果に評価が後から追加されたような印象もあり、しかもテレビ特有の表面的なもので、聞くに値する自分の見解をゆるぎなく仰るのは平野さんただひとりで、職業柄もあるのでしょうがさすがだと思いました。
あとは正直どうでもいいようなものばかりで、やたらと褒め称えてさえいれば間違いないという感じで、いかにも現代のテレビらしい無難なきれいごとだけの世界でした。

あれこれ出てきた演奏については、個人的には10月に毎夜聴いていたときの評価が覆ることはなく、不思議なまでに同じ印象で、当時感じたことを再確認するにとどまりました。

ここではあえて固有名詞は出しませんが、当時からいいなと思っていた人は、やはり今回見てもそう感じたし、変だな…とか、どこがいいの?過大評価じゃない?と思うものは、やはりどんなにスタジオで賞賛されても(中には「会場でも話題になるほどの名演だった」などといわれても)、個人的にはまったく同意できないし、さほどピアノに深く入り込んでいない多くの視聴者はこんな言葉のやり取りを鵜呑みにしてしまうのかと思うと…なんだか危うい感じを覚えました。

時代とともに「ショパンの演奏も変わる」ということは当然だと思いますが、それが精密技術による楽譜の再構築のようになって、演奏者の自由な感性が羽ばたく余地が著しく狭められているとしたら、それこそコンクールという競技化/スポーツ化の弊害ではないかと感じます。
芸術の世界まで民主化・平均化の波が押し寄せているようですが、逆に世界の統治情勢はエゴと覇権主義が横行し、その民主主義さえかなりヒビが入っているという現実は皮肉です。

芸術が内包する真髄を追い求めることより、加点の得られる対策された解像度の高い演奏が主流となってしまうのはいかがなものか。
有無を言わさぬ音楽の喜びとか、人の内奥に触れてくるような、あるいは魂を揺さぶられ、心の痛みさえも美しく転嫁されるような演奏はかげをひそめ、審査員という独特な権力集団に頭をなでられるようなものをどれだけ提示できるかが問題。
ショパンには特有の言語があり、それをどれだけ雄弁に語れるかが問題だと思っていましたが、その点もかなり変質している気がします。

言語という言葉が出たついでに感じたことを言っておくと、件の平野さんはやはり小説家という言語と思索のプロだけあって、自分の感性、切り口、話の説得力はもちろんですが、思考のベースが圧倒的に広いから、彼の言葉には、ちょっとしたことにも真実と明快さと深さを感じるし、この点は他の人を圧倒していました。

一般に音楽だけをやってきた人は専門分野においては立派だけれども、その話はどれもがどこかで聞いたような言葉の使い回しであるし、独特の匂いや調子があるだけで、視野の狭さを感じないわけにはいきません。とりわけ社会学的な要素が欠落しており、ただピアノ道の家元のコメントのようで魅力を感じません。
こうして同じ場所・同じテーマでの話を聞いてみると、小説家というのは思索や感じたことを言葉とするのに無駄がなく、しかも思考の原野が断然広い。よって他者とはまるで脳の使い方が違うなぁというのが、明確な差となって現れていました。

あの差を見ると、マロニエ君がもしどちらかになれるとしたら、意外かもしれませんが小説家のほうがいいなあと思ってしまいました。
そもそも音楽はマロニエ君にとっては趣味としては最高ですが、プロの音楽家になりたいとはどうしても思わないのです。