不思議な本

大手書店で『私のベヒシュタイン物語』という多数の人たちによるエッセイをまとめた一冊が目に止まり、ちょっと迷ったけれど、新品(未読本?)のようであるにもかかわらず、割引されていることもあり買って読んでみました。

実は、ずいぶん昔でしたが『ベヒシュタイン物語』というのがあって、詳しいことは覚えていませんが、ベヒシュタインの素晴らしさを伝えるにあたり、やたらとスタインウェイが通俗ピアノの代表として引き合いに出され、その対比としてベヒシュタインがいかに素晴らしいかという文体で綴られている印象が強くて、読後感としてはスタインウェイとの違いだけがベヒシュタインの存在価値であるかのような印象しか残りませんでした。

個人的に思うところでは、世界の銘器と呼ばれるものは、それぞれに代えがたい魅力があるのだから、広い視野で客観的に捉えたものでないと本当の魅力は伝えられないはずですが、ピアノにかぎらず、ひとつのもの以外を認めたがらない感性というのはどうもいただけません。
どの世界にも特定のブランドを熱烈に支持される専門家がおられますが、残念ながらあまりに思いの強さばかりが前に出て、どこか宗教チックになってしまい却って引いてしまう場合があります。

有名なライバルを引き合いに出して優位性を説くというやり方はネガティブキャンペーンのようで、どこぞの国の大統領選ならともかく、日本ではあまり馴染まない方法だと思いますが、主張に熱が入りすぎたのか?とそのときは思ってしまった次第。
ちなみに店によっても違いはありますが、総じてベヒシュタイン関連の人達は、いささか説明過多というイメージが昔から強い印象があります。
いい音というのは説明され論破されるものではなく、感じるものだと思いますが。

本の話に戻ります。
『私のベヒシュタイン物語』は個々の人たちの思い入れや体験が一冊にまとめられたもののようで、ユーザーの立場からの話ということでそこに興味を覚えたのでした。

ところがいざページをめくってみると、使われなくなったピアノが見出され、有志によって、どのように復活に至ったかという経緯など、ベヒシュタインというピアノじたいの個性や魅力についてではないような話がいくつも続きました。
大半は大戦前に作られたベヒシュタインが、それぞれの運命と偶然によって、現在日本のどこそこのホールにある、自分は運命的にそれに関わった、素晴らしい人とのご縁も出来た、有名音楽家が来て弾いて褒めた、そのピアノを中心に毎年イベントをやっている、満席になった、子どもたちがどうしたこうした〜といったような話の羅列だったことは、縁もゆかりもない関係者だけに生じた感動談をながながと聞かされているようで、あれえ?という感じでした。

また、古いピアノ故にメンテや修理の必要がある個体が多いようで、そこで輸入元の有名技術者さんや社長さんなどの協力を得たことが、たいへんな感動に値することのように書かれていますが、こういっては申し訳ないけれど、会社は利潤追求、技術によって対価を得ることも普通にビジネスであるし、ことさら特筆大書するようなことではないと思うのですが、それをベヒシュタインが引き会わせてくれた格別のご縁とばかりに書かれていたり、あるいは某大学にベヒシュタインがあるとしながら、大半はピアノとはあまりかかわりのない大学のイベントの意義と解説のようなものであったりと、どこが『私のベヒシュタイン物語』なのかよくわからなかったりで、だんだん気持ちがついて行けなくなりました。

善意の皆様には甚だ申し訳ないような気もしますが、これは無料で配布される冊子ではないのだから、そういうものを延々と読まされる身にもなって欲しいと思いました。

ともかく、そういう話が一冊のうちの半分以上にもわたってページを占め、そのあとにようやく個人でベヒシュタインや系列ブランドのホフマンを購入した人たちによるリアルな内容となり、こちらのほうが直接弾く人の体験に基づいており、よほど興味ぶかく読むことができましたが、それらはほんの僅かでした。

また、直接の内容とは関係ないかもしれませんが、なぜかこの本には、日本語の間違いや誤植の類があまりにも多く、ハードカバーで装丁され、カバーや帯もついて1,980円也で一般に販売される書籍である以上は、もう少し校正校閲にもしっかりと留意されないと、書物としてのクオリティはもちろん、ベヒシュタインのイメージにも障るのでは?と感じました。

とはいえ、タイトルだけに釣られて、あまり内容を吟味することもせず買ってしまったという点で、要するに見極め不足の自己責任でもあるとも言えそうです。
それはそうと、ベヒシュタインといえば判で押したように出てくるドビュッシーの「あの」言葉は、こうも多用されると却って無粋で、もういいかげんに勘弁してほしいものです。