巨匠たちの…おまけ

書くかどうか迷いましたが、少しだけ。

世の評判は別にして、個人レベルでは苦手なピアニストというのは、誰しもあるはずです。
とはいえ、それが歴史的な大ピアニストともなると、その評価は定着し、燦然と輝き、ファンも多いぶん、こんなところに書くこともためらわれますが、まったくマロニエ君の個人的な好みということで、敢えて書いてみることに。

巨匠たちの遺したショパンのCDを順次聴いていると、ボックスの一番下の部分から3枚出てきたのが、アルトゥール・ルビンシュタインでした。
ポロネーズ集とマズルカ集でしたが、残念ながらマロニエ君にはその良さが見い出せないまま、今回もまた深い溜息とともに終わり、正直いって3枚のCDを聴き通すだけでも意志力が必要でした。
以前も聴いて苦手だったため、ボックスの一番奥にしまいこんだことも思い出しました。

時代もあるのか、この方、ポーランド出身のピアニストといわれるけれど、なぜショパンに対してあのようなルノワールの絵画みたいなアプローチになるのか、疑問はますます深まるばかり。
たったいま「時代」と書きましたが、しかし、ここに書き連ねてきたピアニスト達は世代的にさほどかけ離れた人達ではなく、そのぶんルビンシュタインの演奏の特異性が浮き立つようでもありました。

1960年台以降の彼はまだしも円満な福々しい音になったけれど、ここに収められているのはすべて第2次大戦前の若いころの演奏ですが、どれを聞いてもえらくキツい音で、音色や表情を凝らして音楽を創りだそうとしているデリカシーがマロニエ君にとってはまったく感じられないのです。

どれを聴いても同じ調子で、各作品への思慮や慎み深さとか作品の機微に触れるような儚さなど感じられず、ただ楽譜を片っ端からじゃんじゃん弾いただけのように聴こえ、通俗という言葉が悪いなら、エンターテイナーのようで、もしかするとこの人は音楽をそういうものに変質させるほうでの第一人者ではなかったのか?とさえ思います。
大衆にとってピアノの華麗な大スターであり、氏もそういう立ち位置が性に合っていたのでしょうから、客席とステージはまさにwinwinの関係で、それが疑問もなく喜ばれた時代だったのかもしれませんが。

ルビンシュタインはどこに行ってもハリウッド・スター並みの人気で、その周りには人が群がり、そこになぜか「20世紀最大のショパン弾き」というイメージも加わって長年持ち上げられたためか、ショパンの音楽はある種イメージの齟齬があるまま、長らく放置された時代が続いたといえるかもしれません。
このところ、いろいろな昔の巨匠のショパンを立て続けに聴いて、それぞれのショパンへのアプローチに耳を傾けてきたわけですが、ルビンシュタインは全般的に打鍵が強く、ところどころに申し訳程度に強弱があるぐらいで、平明でブリリアント、彼の享楽的な生き様などが華を添えるように大衆の心を掴んで天下が続いたというのも、たまたま何かの条件が揃ったということでしょうね。

ルビンシュタインを取り扱った本だったと思いますが、あるとき氏がショパンの手のモデルにサインをしてくれと頼まれたところ、「私がショパンの手にサイン?そんなことはできないよ、出来るのはハートを入れることだけ」といかにも謙虚なような事を言って、そこに小さなハートを書いている写真が掲載されていましたが、ルビンシュタインの魅力というのは、演奏よりも、人間としてそういう場面でサッと人を唸らせ、人々の心をつかんで印象づけ、のちのちまで語り継がれるような振る舞いとはなにかを心得ていたのだろうと思いす。
彼によるさまざまなジョークや幾多の言葉とかエピソードの中にもそういうものはたくさんあって、いかにも大物然とした知己に富んでおり、ルビンシュタインという大スターの人物像を脇から強力にサポートしていたのだろうし、大衆も大いに湧いて感激し舌を巻いた…そんな関係だったんだろうと思います。

彼が偉大なピアニストということはそうなんだろうと思いますが、個人的にはショパンをあんなにも徹底して詩情や陰影のない、まるで陽気なイタリア音楽みたいにあっけらかんと弾かれてしまうと、なにかたまらないものが胸にこみ上げてくるのです。
くわえて若い頃は、打楽器的な打鍵の強さがあって一音一音が刺さるようで、それだけでも疲れます。

この巨匠をしてこの弾き方は、当時の影響力の大きさからすれば、日本などのピアノ教育現場にも一定の影響を及ぼしてしまったのではないかとつい思ったり。
現に一時代もてはやされた日本の有名ピアニストなどは、大衆ウケがなによりもお好きだったようで、かなりこの手の巨匠たちの影響があったのではないかと思われてなりません。

いっときほどではないにせよ、いまだにルビンシュタインをピアノ界の巨星のごとく尊敬し奉る人たちがおいででしょうが、個人的にはどこがそんなに魅力的なのか、一部はわかるようでもありますが、やはり謎なのです。
彼の手にかかると、ショパンのみならず大半は娯楽のようになってしまう印象ですが、かくいうマロニエ君も子供の頃は、そう選択肢もないこともあって、彼の演奏はずいぶん聴いて育ったのも事実で、いま思い返せば複雑な気分になりますね。

後で思い出したので、追記しておきますが、マロニエ君が最も好きなルビンシュタインの笑える言葉。
「やっとわかった、異教徒とは、何が異教徒なのかわからない者が異教徒なんだ!」…なるほどね。