ハンマーの重さ

いつだったか、あるピアノ好きの方との話の中で、ハンマーや弦の交換についての話題で盛り上がりました。
とはいえ互いに技術者ではないため、拙い体験談等を述べ合ったにすぎませんが、自分でも話をしながら、苦い体験の記憶が断片的に蘇りました。

実はそれよりももっと前、ある修復専門家の方と話をしていたら、ハンマーの交換で最も注意すべきは、一にも二にも「重量」であると力説されたことがあります。
もちろんハンマーのメーカーや品質、取り付けるピアノの個性に合ったものをチョイスすることも大切だけれど、まずもってハンマーの重さがオリジナルと揃っていないことには始まらないのだそうで、ここが最も基本中の基本とのことでした。

そこさえ外さなければあとはどうにでも…とまでは言われなかったけれど、主意としては、概ねそう取れなくはないニュアンスでした。
逆に、そこを見誤ってオリジナルよりも重いハンマーを付けてしまったら、タッチはたちまち重く沈み、楽器としてのバランスを損なう深刻な事態を招く由。

その方はレストアにかけては屈指のスペシャリストなので、古今東西のあらゆるピアノを数えきれないほど手がけてこられているだけに、非常に重みのある言葉でしたが、同時に、聞きながら背中にじんわりと寒いものが走りました。

これにはマロニエ君も苦い経験があって、大昔ではないけれど、過去にあるピアノの弦とハンマーその他の交換を懇意にしていた技術者さんに依頼したことがありました。
その際、マロニエ君は整音に関する本を読んだことから、一般にあまり知られていない某社のハンマーを付けて欲しいと希望しました。
このハンマーは、強い熱を加えずプレスされる柔らかめのハンマーで、羊毛もいいものを使っているというので、今どきのカチカチのハンマーが叩き出すキツい音が嫌なので、すでに日本での取扱店も調べてあったし、ぜひこれを取り付けたい旨をお願いしました。

ところがその技術者さんは断じてNo!で、「自分が一度も使ったことのない未知のハンマーをいきなりお客さんのピアノにつけることはできません!」と一蹴され、その意志はたいそう固く、とりつく島もないという感じでした。
技術者としての良心と責任意識から、そんな冒険はできないというのが主な言い分でした。

冒険も何も、ピアノの持主が自分の意志でこのハンマーにして欲しいと言っているのだから、もし失敗であってもそれはこちらの責任であるのだから、シンプルにそうしてくれればいいのにと思うのですが、技術者というのは妙なところで面倒くさいもの。

頑として拒絶の考えである以上、無理強いするわけにもいかず、結局こちらも折れてよくあるドイツのハンマーを使うことになりましたが、注文はいうまでもなく技術者さんがされ、それを取り付けられました。
ところが、タッチがやけに重くなり、それは何をどうしても調整では解決せず、やがて重すぎるハンマーに起因した症状というのが浮かび上がってきたのには、さすがに深い落胆を覚えました。
自分の希望を諦め、ドイツ製ハンマーに応じたのは、ある種の安全策のためだったのに…。

技術者さんもハンマーの重さに原因があることは認識されていたようなので、「どうしてこのハンマーにされたんですか?」と聞いたら、「これしかなかったから!」と事も無げに言われた時の驚きといったらありませんでした。
上記の「未知のハンマーをいきなりお客さんのピアノにつけることはできない!」という技術者としての強い責任意識のアピールと、このいささか杜撰なハンマーのチョイスの仕方は、どうしても噛み合わないものでした。

解決のために出来ることといえば、鍵盤に鉛を追加するか、新しいハンマーを軽くなるまで削るか、より軽いハンマーへ再交換するか、というようなところまで追い込まれました。
普通は鉛調整をするのかもしれませんが、そのピアノはシングルスプリングのアクションだったので、それでなくても俊敏性がやや劣るところへ、さらに鉛を追加すればますます鈍くなる懸念があり、かといってせっかくの新品ハンマーを削って小さくしてしまうというのも抵抗があり、まして再び別の新品ハンマーに交換というのは費用的にも気持的にもできないから、悩んだ末に採った手段は、ウイペンをダブルスプリング式に全交換するというものでした。

…。
それでも、結果は期待するレベルには至らず、ついには別の高名な技術者さんに見て頂くまでに発展しましたが、問題は他にもあったらしく(具体的なことは控えますが)そういう部分は素人にはわかりません。
おかげでかなり挽回はできたけれど、それでも根本的なものは尚残り、ついに完全解決には至りませんでした。
まさに「ボタンの掛け違え」の言葉のとおり、はじめの一歩を誤ってしまうと、あとからどんなに小細工を重ねてもダメだという、いい教訓になりました。

そのピアノは別の理由で手放すことになりましたが、思い返せば冒頭の修復専門家の方がおっしゃる言葉そのままの経験をしていたというわけです。

もう過ぎた話で、いい経験と勉強をさせてもらったと思っています。
ハンマー交換は重さに対する注意が最重要であること、これは決して忘れません。

追記;ここ最近、ときどきネットで目にしますが、古いNYスタインウェイでオーバーホール済みのものの中に、マロニエ君がはじめに希望していた某社のハンマーが付けられているものが何台かありました。
商品説明にもそのことが触れられており、とても良質なハンマーであると記されています。それを見るにつけ、もしあのときこれを付けていたら、どんなものになっていただろうかと今でも思ったりします。
もちろん、適正な重さを踏まえての話ですが。