旅立ち

昨年6月よりお借りしていたワグナーピアノですが、ついに我が家を離れることになり、数日前すでに搬出されていきました。

所有者のである技術者さんは、何の見返りもなしに、快くピアノを貸してくださっていることからもわかるように、今どき珍しいほど人情に篤くサッパリした御方で、私が望むなら「いつまででも、どうぞ使ってください」と仰ってくださっていたので、それに甘えてズルズルとお借りし、いらい自由に弾かせていただいていました。

ただ、この方の真意としては、1960年代広島で9年間だけ作られたワグナーピアノの素晴らしさを、少しでも多くの人に楽しんでもらいたいというお考えがあることは承知していたので、その意味では現状はマロニエ君が独占している状態であるのが心苦しくもありました。
いっそ買い取らせていただくか(それに応じられるかどうかはわからないけれど)、もしふさわしい場所があったなら移動も考えなくてはならないだろう…というような思いはいつも漠然と頭の片隅にありました。

そして、そのふさわしいと思われる場所へと行くことになったのです。
福岡市の西隣にある某市の駅の近くで、ショパンの名を冠した音楽スペースのようなことをやっておられるMさんという旧い付き合いの方がおられるのですが、数週間ほど前、数年ぶりに機会があってお尋ねしたことで突然そのイメージが膨らんだのです。
今まで、なぜここを思いつかなかったのか自分でもよくわかりませんが。

表通りに面したマンションの1階部分で、表向きはカフェにはなっているものの、とくに営業熱心という感じもなく、実際はMさんの音楽室みたいなもので、そこでピアノのレッスンをされたり、地域の文化スペースのようなことにも使われているようで、その実態はなかなかひとことでは言い表せません。

ここにはヤマハの非常に古いG3があり、ワグナーとは同世代でもあるしサイズも近いので、2台ピアノというのもいいのでは?と思いました。
問題は、ここのMさんはご自身の好みや物事を納得するということに独特な感覚をお持ちの方なので、気に入らないピアノを置くといったようなことは決してされるはずもなく、まずはワグナーを触ってもらうことが第一と思い、後日我が家に来ていただくことになりました。

来宅されて、しばらく音を出すようなことをされましたが、あまりはっきりと感想を言われず、むしろ妙に口数が減ってしまい、どうかな?と思っていると、ようやく出てきたのは「こういう音を望んでいた」「…出会ってしまった感じがする」「こういうことか…」というような、かなりお気に召したらしい言葉がポツリポツリと聞こえ始めてきました。
要するに、気に入られただけでなく、感情のなにかが揺れ動いたのか、却って言葉少なになっていたという感じでした。

「こういう音がいい」といわれるのは、たとえば中低音のズンとした腰の座った音だったり、高音側も輝くばかりにはっきりしているけれど、決してキンキンしていないあたりも驚かれたようでした。
また、ワグナーが遠鳴りする楽器というのは前にも書いた覚えがありますが、ピアノからできるだけ離れて聴いてみても、その音量にはほとんど変化がなく、あらためてさすがだと思いました。

聞くところでは、帰宅されたあともずっとワグナーに触れたことがきっかけで、遠いむかし、ご両親が自分に買い与えてくれた量産品ではないピアノのことなどのあれこれが、しばらくのあいだ頭を駆け巡っていたとのことでした。
人をそういう気持ちにさせる何かが、やはりワグナーピアノにはあるということだろうと思いますし、これは、どんなによく出来ていても量産品には望めない不思議なパワーだと思います。

というわけで置いてみたいという結論に達したようでしたが、そうなれば、まずは所有者である技術者さん会う必要があるだろうということで、私がその機会をセッティングするよう頼まれました。
さっそく連絡をとって、今回のいきさつから話したのですが、あっけにとられるほどの快諾をされたばかりか、私がそれがいいと思うなら自由にやってください、すべて任せます、相手の方のこともおおよその説明でわかったので、わざわざ会う機会を作る必要もないから、そちらの都合で、移動でもなんでも好きなようにしてください。
ピアノが移動したら、自分が調整に行くし、その時にその方に会うのが非常に楽しみであるというようなことで、所有者としてもったいぶるようなところは微塵もなく、その粋なふるまいにはいまさらのように感服した次第でした。

ひとつ条件があるとすれば、この希少なピアノの価値がわからず(あるいは多少わかったにしても)、その楽器の良さを楽しむのではなく、やたらとガチャガチャ弾くような人には使ってほしくないというものでしたが、その点は私を全面的に信頼してくださっており、そのあたりも併せて強く信頼をしていただいていたのはありがたいことでした。

通常なら、ピアノを貸す(それもほとんど幻に近いようなレアな銘器)ともなるとなおさら、どういう相手か会って面談して、あれこれの条件やら説明やら、所有者として貸借の取り交わしをするのが一般的でしょうし、今どきは昔以上にそういう面は堅苦しいものになっていると思いますが、そんなものは「一切すっ飛ばして構わない」とのことで、それはもう見事なものでした。
いうまでもなく、ワグナーピアノに対する思い入れはかなり強いものがあるにもかかわらず…なのですから。

こういう方は昔でもそうざらにはいらっしゃいませんでしたが、今どきはもうほとんど絶滅危惧種の部類で、本当の粋とかスマートというものは、一種の胆力と覚悟と信頼が裏打ちされた、流れの美しさの賜物であり、つべこべ言わず、あとはスッパリと人に下駄を預けるというもので、まるで本で読んだ勝海舟のようだなあと思いました。
マロニエ君もできることならこうありたいもんだと思います(無理ですが)。

というわけで、11ヶ月間、我が家に逗留してくれたワグナーピアノですが、3日前に旅立って行きました。
60年も前に、こんな素晴らしいピアノがあったということじたいが驚きであったし、いろいろなことを教えてくれた素晴らしいピアノで、得難い貴重な体験でした。
快く貸してくださった調律師さん、さらにはこのピアノを探してきたTさんに改めてお礼を申し上げます。