ウクライナの音楽家

ロシアによるウクライナ侵攻から3ヶ月を過ぎました。

当初はわずか数日で首都キーウを楽々と制圧し、ゼレンスキー政権を倒すつもりだったようですが、蓋を開けてみればウクライナ軍の抵抗は凄まじく、先進諸外国のサポートも予想外のもので、プ大統領も、こんなことになるなんて夢にも思っていなかったようです。
あの物事をすべて恐怖と武力で片付けようというロシアなんぞ、まともな話し合いが通じる相手ではなく、武力は武力を持って押し返されることが一番こたえるでしょうが、現場で意に沿わない戦闘行為をさせられるロシア兵も気の毒です。

とはいえ、ウクライナが各都市で破壊されたむごたらしい傷跡は正視するのもしんどいほどで、日々届けられる瓦礫の山と地獄絵図は目を覆うばかり。わかっているはずの戦争の恐ろしさを、改めて生々しく目に焼き付けられます。

さて、これまで、ただ一括りにロシアだと思っていたものが、実はウクライナの人や物だということがいろいろわかり、この悲惨な状況の中で、新たに覚えたことも少なくないように思います。
ソ連時代から有名な飛行機のアントノフも、中国に転売された空母「遼寧」も、有名なロシア料理とされていたボルシチもウクライナだったり。

ここはピアノと音楽に関するブログなので、音楽家に限っていうと、漠然と(しかし疑いもなく)ロシア人だと思っていた人がそうでないことも次々にわかり、とりわけウクライナには音楽史に残る大巨匠が綺羅星のごとく多いことに、驚愕させられます。

▶ウラディーミル・ホロヴィッツ、▶ダヴィッド・オイストラフ、▶スヴャトスラフ・リヒテル、▶エミール・ギレリスなど、いずれも並大抵の存在ではない超大物がウクライナの生まれであることは、いまこの状況の中で知ると本当に驚かされます。

そういえば、ホロヴィッツがウクライナ生まれというのは文字で見た覚えがありましたが、オイストラフ、リヒテル、ギレリスと続くともはや唖然とするしかなく、「ウソでしょ!」の世界になってしまいます。
そういえばリヒテルの有名なライブ録音に「オデッサリサイタル」というのがありますが、ああそれも祖国での演奏会だったのか…と今ごろ思ったり。
…で、ちょっと調べてみると、
古いところでは、伝説のピアニスト▶パハマンもウクライナ出身。
また日本でのピアノ教育に多大な貢献をした▶レオ・シロタ、ピアノ教育といえばロシアピニズムの祖のひとりである▶ゲンリヒ・ネイガウス(ブーニンのおじいさん)、古い世代は演奏会にも行ったと聞くヴァイオリンの▶エルマン、レコードも多い▶ナタン・ミルシテイン、おなじみの▶アイザック・スターン、オイストラフ以来の大物と称された▶レオニード・コーガン。

ピアニストに戻ると、テクニシャンで有名な▶シモン・バレル、また101才と長寿で、東京のカザルスホールの柿落しでカザルスゆかりのピアニストとして90歳目前で来日し、その素晴らしさで衝撃を与えた▶ミエチスラフ・ホルショフスキーもウクライナの出身。

また、現代でも人気の作曲家兼ピアニストだった▶ニコライ・カプースチン、作曲家といえば、ロマン派の音楽にスラヴ的な暗い情熱を流しこんだような▶セルゲイ・ボルトエヴィツキもウクライナ・ハリコフの人でした。

日本での録音も多数ある、しっかりした打鍵で揺るぎない演奏を聴かせる▶セルゲイ・エデルマン、またモスクワのグネーシン音楽院(キーシンやアブデーエワを輩出した名門校)の卒業演奏でバッハのゴルトベルク変奏曲を弾いて注目を集め、その後CDも発売された▶コンスタンチン・リフシッツは、現在も来日を繰り返しているピアニスト。

ざっと簡単に調べただけでもこれだけザラザラと出てきて、しかも、そのどれもが世界級の大物ばかりで、その次点レベルの人を含めると、途方もない数に及ぶはずで、人口が日本の1/3ぐらいなのに、これだけの傑物が出るとはただただ驚くのみ。

ロシアという大国は音楽やバレエでも凄みを見せつけてきましたが、その内情を知れば、いかにウクライナなどの周辺国の力もあったんだなぁという気がします(むかしキエフ・バレエというのにも行ったことがあります)。
聞くところでは、かつての共産主義陣営は、西側に対してそのイデオロギーの優位性を示す手段のひとつとして、芸術面においても猛烈に注力して結果はご存知の通りですが、これだけ濃密な関係にあった同じ民族同士が、21世紀の今、むごたらしい破壊と殺戮を繰り広げているとは、その現実の前になかなか認識が追いつきません。