知名度がすべて

先日、日本の某手作りをピアノを愛用されている知人の方から、いろいろと情報満載のメールをいただきました。

固有名詞や具体的なことは避けますが、ついに日本国内で、良質の材料を使った手作りピアノはほぼ絶滅したということが書かれており、いまさらですがフッとため息です。いつかは購買層の世代も変わり、価値あるものが一定程度見直され、わずかでも立ち上がる時が来ればと思っていましたが、ピアノというのはとりわけ評価や再発見が難しいものかもしれません。
一部の専門家や好事家は別として、一般的には…。

なぜこんなことになったのか、専門家に言わせればいろいろな要因を並べ立てるのかもしれませんが、マロニエ君が個人的に感じるのは、日本人の右へ倣えの民族性と、日本のピアノ音楽教育の常識が大元になっているのではないかということ。

日本は当たり前ですが、西洋音楽の伝統がないまま、文化の模倣として始めた国。
それも明治からと云いたいところですが、本格始動したのは戦後の復興期からでしょう。
大戦前からピアノを触っていたような人は、一握りの特別な人達であって、多くは戦後の高度経済成長とともに、子供にもピアノという文化を身につけさせようという機運の高まりによって、日本独特のピアノ文化が花開きます。
そこで注目すべきは、ベルトコンベアにのせた大量生産方式で作られた国産ピアノが、そのブームの中心であり標準機として使われたこと。

その波にあやかるべく、日本には信じられないほど夥しい数の大小ピアノメーカーがあったようですが、無論それらのすべてが良質ピアノだったとは到底いえません。
中には時流に乗って一儲けしてやろうという動機から、音楽もろくにわからない人達の手によって製造されたピアノもたくさんあったでしょうし、当然劣悪な品質のものもあったはずです。

そんな中、未知の階段を駆け上がるように、初めてピアノを買うとなれば品質や音色の判断力などあるはずもなく、多くの場合はピアノという夢を買うことだけで一大事だったと思います。
当時、ピアノが大量生産品か、クラフトマンシップによって生み出される名品かなど、考えた人は一般にほとんどいなかったと思われますが、ではそれが過去の話かといえばそうでもなく、現代においても、半世紀前と大差ない状況のように思います。

これといった根拠もないまま、大手の有名メーカーだけが信頼できるもので、その他多くは二級三級扱いという構図が知らず知らずの間に出来上がります。いや、そういう認識が意図的に作られたのかもしれません。
くわえて、大手は力にものいわせて全国津々浦々まで販売店を配置、さらには音楽教室まで展開し、その先生たちも師弟関係を装った準営業マンみたいなものだから、これらが覇権を握り、中小は品質如何にかかわらず淘汰されるのは必然だったでしょう。

つまり、日本では、ピアノといえば欧米では考えられなかった大量生産品が標準であり、ピアノの優劣に対する感性がほとんど育たなかったという背景があると思うのです。
これは楽器の優劣を考えることさえ、情報が遮断されていたも同然かもしれません。

いいものとは大手の作る大衆品で、音や響きの優劣を探ろうとも考えようともせず、ほとんど思考停止状態で、ひたすらブランド名だけがものをいう世界。
これでは、小規模生産の良品など出る幕がありません。

どんなに誠実な良品であろうとも、まるで見向きもされないという不条理。
これでは、志ある製作者たちもやってられないという絶望感に打ちひしがれたことと思います。

どんなに良心的な商売をやろうにも、巨大ショッピングモールには敵わないという、あの感じですね。