通せんぼ妖怪

以前にも似たようなことを書いたような気もするのですが、あまりに多いので再び。

車を運転していると、近ごろはやたら路上での流れが遅くて、ついイライラしてしまうことが多い気がします。
むろん車が多くてそうなるなら普通ですが、夜間など交通量もまばらで、道もガラガラだというのに意味不明に流れが遅く、法定速度以下のアホらしいような速度で走らざるをえないことがしばしば。

あまりのことに前方を注視してみると、やたらゆっくり走っている一台の影響で、その後ろがゾロゾロ続くしかないという現象。
しかも、その車の前は見渡す限り何もなく、ただトロトロ走っているだけ。

以前は、運転中にスマホなどを見ているのか、高齢の方などがよほど慎重運転されているのか…などと思ったものですが、近頃わかってきたことは、どうもそういうことではないらしいのです。
片側一車線でどうしようもありませんが、途中から二車線三車線になると、こちらも一気に行手が開けるのでこの手の極遅車からようやく開放され、空いている車線から前に出るのですが、追い抜きざまについ横を見てしまうことも。

果たして、運転しているのは予想に反してどこにでもいそうな普通の若者だったり、真剣な様子の女性だったり、いずれも運転以外のことにかまけて後続車のことが疎かになっているということでもなく、しっかり前を見て運転していたりする姿によけい驚かされます。

こういう走りの車にかかると、後ろがどんなに詰まって迷惑をかけようが、そんなことはまったく知ったことではないようだし、そもそも周囲に迷惑をかけている事など微塵も意識はないようです。

車関係の知人と雑談をしている時に、こんな状況があまりに多いことが話題となり、そこで驚くべき解説を受けました。
それは通称「通せんぼ妖怪」というのだそうで、比較的若い世代に多く、車や運転に関して一切興味も楽しみも感じない人達で、車の運転は100%移動手段でしかなく、したがってドライブの楽しさや運転技術の向上などにも興味ゼロの種族の由。

自分が運転が苦手だという意識はあるようで、だからとにかく安全にゆっくり走っているのだそうです。
さらに、道交法の解釈にも勘違いがあり、例えば道路標識が40km/hのところを50km/hで走れば違反だが、40km/h以下で走るぶんにはどれだけゆっくり走ってもOKと考えているんだそうです。

現在の自動車学校の教えがどうなのかは知りませんが、我々の時代は「安全運転」はもちろん第一でしたが、そのためにも「交通の円滑」を心がけることが必要だと繰り返し叩きこまれたものでした。
仮に50km/hの道をみんなが60km/hで走っているときは、一台だけ異なる速度で走るのは却って危険であり、そういう場合は同じ速度で走るべきであると教えこまれたものです。

これは集団であれば速度違反をしていいということではなく、交通状況というものは絶え間なく変化する生きものだから、臨機応変に状況を察知し、神経の行き届いた円滑な走行を心がけることが安全にも繋がるという考えだと思います。
なので、一台だけ極端に周りと違った動きをすることは却って混乱をきたし、危険要因を増やしてしまうという考え方で、その柔軟な感覚はつねに交通安全に求められる要素だと思います。

他車に対する配慮が極端にできない視野の狭いドライバーが専らマイペースで、周囲の状況へのセンサーが働かないような動きをしていると危険が迫ってきたときの認知も遅れ、当然ながら咄嗟の対応も後手にまわり危険度はずっと増すはずです。
とくに高速道路ではスピードの調和が乱れることで危険性も増大することから、最低速度というものが課されていることからもそれは察せられます。

この「通せんぼ妖怪」は、自分は40km/hの道を30km/hで走るぶんには、自分には何の非もなく、むしろより安全運転にいそしんでいるとでも思っているかもしれませんが、それは勘違いも甚だしいと言わざるを得ません。
周囲のドライバーをイライラさせる原因を作っていることこそ、安全とは反対の危険行為だと思いますが、いかんせんご当人は妖怪さんだからそこに気づくはずもないということのようです。

これと感覚的に似ている気がするのですが、夜間、無灯火(ライト類をまったく点灯していない)の車が少なくないことにも、この鈍感さが現れていると思います。
街中がいくら明るいとはいえ、夜道でハンドルを握ろうというのに、自分の車のヘッドライトが点いていないことにまったく気づかずに平気な顔して走っているなんて、その鈍感さが私から見ればかなりこわい気がするし、これはもう酒気帯び運転並みに恐ろしいような気がします。