懐かしく新鮮

CDも入れ替えが面倒くさくていつも目の前にあるものばかり聴いていると、さすがに飽きてきて、昔のもので何かないかと探してみた結果、何年ぶりかで、エレーヌ・グリモー、アンドリス・ネルソンズ指揮バイエルン放送交響楽団による、ブラームスの2つのピアノ協奏曲を聴いてみることに。

このCDの昔の印象としては、どちらかというと常識的で、悪くはないけれど特に素晴らしい!というほどのものでもないというものでした。
以前にも書いたことがありますが、CDの印象というのはだいたい同じで、それが覆ることはなかなかないのですが、今回は珍しいことにすこしだけ良いほうに覆りました。

それは、奇をてらったものではなく非常にオーソドックスなしっかりした演奏と言えるし、この点が以前では上記のような印象にしていたんだろうと思います。
しかし、今回聴いてみてまず感じたことは、細部の一つ一つをどうこうというより、全体としてグリモーの演奏には彼女なりの感性の裏打ちが切れ目なく通っており、そこに音楽に必要な熱いものが脈打っているということがわかった感じでした。
その点では、ネルソンズの指揮のほうがより普通で、もの足りないといえばもの足りないけれど、足を引っ張っているわけでもないのでこんなものかという印象だし、もしもこれ以上熱い演奏をしたら、グリモーもそれに反応してくるとちょっとうるさくなってしまうかもしれず、これはこれでこのCDとしては良かったのではないかと思いました。

〜で、なぜ評価が覆ったのかというと、最近の若手注目ピアニスト達の演奏に対する、ある種共通する不満が溜まっていたからではないかと思います。
既に何度も書いているけれど、どの人ももはやメカニックは立派で、どんな難曲大曲でもケロッと弾いてしまいますが、聴き手はそこから何か大事なものを受け取ることができません。
日本のピアノそのもののように、どの人が何を弾いても、均一で、危なげがなく、さも尤もらしく整ってはいるけれど、建前的で心を通わせるようなものがない、ただきれいで見事なだけの演奏。
ニュースキャスターが原稿を読み上げるように、楽譜を正確に音にしているだけで、本音なんて決して明かさないガバナンスの効いた企業人の完璧なふるまいみたいな演奏。

そんなタイミングで聴いたグリモーだったので、そういうものでないだけでも新鮮に感じられ、そうでないことに懐かしさもあり、やはり演奏には血の気や感性の発露がなくてはダメだという、当たり前のことをひしひしと感じたのでした。

エレーヌ・グリモーというピアニストは元来器の大きいピアニストとは思いませんし、テクニックにしても現代のコンサートピアニストとしては余裕のあるほうの人とはいえないでしょう。
私は基本的には、力量以上の曲に挑むというのは、プロはもちろん、アマチュアでも最も嫌うところで、そこからくる息苦しさみたいなものを(そして時に浅ましささえ)覚えます。
ところがグリモーは少し違っていて、自分よりも大きな動物をしとめようと、命がけで食い下がるサバンナの野生動物みたいな勇敢さがあって、それがこの人の場合は良さになっている稀有な存在だと思います。

その意味では、このグリモーという人は10代のころから例外的な存在でした。
フランス人女性で、とくに身体的にも逞しいというわけでもないのに、曲の選び方はフランス物など目もくれず、ドイツやロシアのコッテリ系ばかりで、それだけでも異色でした。

作品を決して手中に収めようようとするのではなく、大きな岩山によじ登るようにして成し遂げられる演奏は、だからこそ出てくる気迫と情熱があって、独特なエネルギーが充溢した魅力がありました。

あまりに挑戦的なスタンス故か、打鍵が強く、ときにうるさく感じられることも、同意できない瞬間もないわけではないけれど、全体として、やはりこの人だけがもつ魅力があって、他の人からは決して得られないものだからこそ、やはりいいなあと思うのだと思います。

第1番と第2番、いずれも50分に近い大曲ですが、出来栄えとしては第1番のほうがより生命力と迫真性がみなぎってこの作品の魅力に迫っており好ましく感じました。
第2番はグリモーにしては、無難にまとめたという印象で、曲自体も悲壮感あふれる第1番に対してずっと融和的ですが、今一つ輝きが足りないというか、グリモーの気性には第1番のほうが合っている気がしました。

このピアノ協奏曲の第1番と第2番は、同じくブラームスの交響曲の第1番と第2番と非常に似たような関係性にある気がしてなりません。
いずれも第1番は作曲家自身の気負いがあらわで、時間をかけ、苦労して、推敲を重ねて、やっとの思いで完成した大作。
第2番はその反動なのか、一転してやわらかに微笑んでいるようで、いずれも素晴らしい作品ですが、強いて言えば私は第1番により惹かれます。