一週間ほど自宅に不在だったため、すっかり書き込みの間隔が空いてしまいました。
隣県のピアノ店のご主人から、50年ほど前のスタインウェイDを仕上げたので、いちど触ってみてくださいというありがたいお申し出があったこともあり、先日ちょっとだけ立ち寄って触らせていただきました。
そこにあったのは、ある意味懐かしいディテールをもつD型でした。
ちょうど70年台から80年台に切り替わる時代のピアノで、鍵盤蓋のロゴは現在のものより全体に太字で、足にはダブルキャスターもなければサイドロゴも入っていないものの、椀木やフレームなどはそれ以降の現在と同様の形状となっているなど、まさに過渡期のモデルだったように思います。
このピアノは、近年亡くなられた有名な某ピアニストの個人所有だったそうで、そのためホールのピアノのような外観上の傷みはなく、安全な場所で大事にされたピアノという印象でした。
アクションはオリジナルのものと、この店のご主人が独自に作った「入れ替え用」の2つがあり、これはこの店の昔からの流儀で、ピアニストの好みで適宜使い分けることができるようになっています。
さっそく音を出してみると、少なくとも80年代からこちらの耳慣れた華やかな音ではなく、人によっては地味と感じるような優しい感じのするピアノで、スタインウェイのDといえばおおよそこんな感じという感覚があるものですが、音を出した途端、その範疇に入っていないのはちょっと戸惑うほどでした。
その時点で入っている鍵盤〜アクション一式は新たに作られたものなので、よけいそうなのかどうかはわからないけれど、とにかく柔らかで慎ましさを感じさせる音は意外でもあったし、正直いうとこれでコンサートができるのか?と思うほど。
ご主人のありがたいお申し出により「オリジナルのアクションも弾いてみてください」というわけで、ものの数分で鍵盤一式をごっそり入れ替えてみるとことに。
こちらは長年にわたりこのピアノを鳴らしてきたものなので、多少それらしい音がするのかと思っていたら、こちらも意外なことに似たような感じで、ハンマーが旧いぶん、より輪郭が曖昧なような感じがあり、ようするにそういう性格のピアノなんだなと思いました。
もちろん、硬めのハンマーで鳴らせばそれなりの音で鳴ってくるのだろうとは思いますが、それよりもピアノそのものの核となる性格みたいなものを感じさせられました。
個々のご主人曰く、どんなにあれこれやろうとも、そのピアノが生まれ持っている個性や器は変えられないということで、そのあたりもピアノというのは面白いもんだと思いました。
このピアノに触れてみて感じたことですが、いわゆる我々が「スタインウェイサウンド」と思っているあの輝かしい音は、半生記も前の時代背景の中で、いまほど細やかな整備や消耗品の交換などもされず、ただ使うに任せてハンマーは硬くなり、やがてギラついた音になっていたのでしょうか?
しかもスタインウェイともなると潜在力が違うので、それはそれで銘器の音として魅了されていたのかもしれないな…などと想像がぐるぐる回りました。
おそらくは調整を重ねながら、新しいハンマーも弾き込まれて馴染んでくると、より深みのあるトーンが出てくるような気もしますが、実際のところどうなるのかはわかりません。
いずれにしても、この時代以降のスタインウェイはよりダイレクトにブリリアントな方向に舵を切り、またそれが時代の求めでもあったでしょうから、そちらの道へ進むことに拍車がかかったのだろうと思います。
とくにハンブルクはその傾向が強く、まだニューヨークのほうが一定のクラシックなスタンスが守られていたのかもしれません。
ただ、面白いのは、どの時代のどのスタインウェイに触れてみても、直接的な音はいろいろあるけれど、本質的な部分のスタインウェイらしさというのはまったく変わっておらず、こういうことを血脈というのか、なんとも不思議なような面白いような気がしました。
スタインウェイは弾く人と聴く人では、ピアノが発する音が大きく異るということは、これまでにも再三書いてきたことですが、もしこのピアノを何処かのホールのステージに上げてコンサートをやったら、今回の印象とはまたぜんぜん違うものになるのかもしれません。
たとえば某メーカーのピアノなどは、狭い空間で聴いたらそれなりの悪くないものに聴こえるけれど、コンサートに使ったらいっぺんにアラが見えてしまうようなことがあるので、やはり本物というのは秘めたる力がどこまで破綻しないかと言えるような気もします。
こんなことを書いていて思い出しましたが、昔のピアニストの演奏を聴いていると、ピアノの音は絶えずキラキラしているわけではなく、音にも底知れない厚みがあったように思いますし「スタインウェイを弾きこなせるか…」という事もよく言われたものでした。
現代のスタインウェイは誰が弾いいても美しい音が泉のようにこんこんと湧いてきますが、昔はそうではなく、それなりの人がそれなりの演奏をした時に、ようやくピアノの真価も出てくるように多層的に作られていたのかもしれません。