脱ライバル

近ごろ日本の若手有名ピアニストの皆さんの活動で目につくことのひとつは、2台ピアノなど、さまざまな組み合わせによる共演が目立つところでしょうか?

これまでなら、多くのプロ(とりわけ実力あるソロアーティストや、話題の演奏家)などの同業者同士は、少なくとも表立って交流したり、ステージやメディアで共演することは非常に稀であるのが普通で、人気・実力も上がるほどライバルとなり近づくことさえない印象があり、世の中もなんとなくそういうものだと自然に思っていたように思います。

それ故、驚きとして印象深いのは、1970年代だったかカーネギーホールで史上最大のコンサートというのがあり、ホロヴィッツやフィッシャー=ディスカウ、ロストロポーヴィチ、アイザック・スターン、バーンスタインなどが同じ舞台に立ったことは「奇跡じゃないか!?」というほどの事件でした。
それほど音楽の分野ではソロアーティスト同士の共演(弦などのアンサンブルを除く)というのは、少なくとも一般人に見えるかたちではゼロとは言わないまでもほとんどなかったように思いますし、とくにピアニストはその傾向が強かったと思います。

それを打ち破ったのがアルゲリッチで、彼女が多くのソリストはじめ、ピアニストとも連弾や2台ピアノなどで共演をはじめたのは、それじたいがちょっとした驚きだった覚えがあります。
彼女の場合はとにかくソロがいやで、誰かと一緒だったらステージに出るという特殊事情による副産物だったのかもしれませんが、結果的に演奏家間の風通しを良くするきっかけになったように思います。

最近はそのあたりの常識がさらに進化/常態化したのか、違った側面からの動きなのか真相はわかりませんが、少なくとも日本の名だたる若手演奏達は互いに垣根を超えて、あらゆる組み合わせでこだわりなく演奏し合っており、コンサートという名のイベントとして盛り上げる戦略なのかもしれないけれど、いずれにしろそれが今のトレンドのようです。

もはやかつてのような圧倒的なスターや巨匠など、カリスマ性を持った大物がいなくなったことも時代背景としてあるのでしょう。
そもそもそういう大スターや巨匠というものは、時代の求めによって現れてくるもので、逆に言えば現代はそういうものをさほど望んでいないということなのかもしれません。

さらに演奏者の技術的レベルが向上して、なんでも弾けて当たり前の時代だから技術的に少々のことでは興味を掻き立てられることはなくなり、同時に弾く側も聴く側も音楽的芸術的深度の追求は薄まって、もっとカジュアルで芸能人やスポーツ選手感覚に近いものとして捉えられているようにも感じます。

少なくとも今はクラシックのコンサートといっても、御大層に構えていられるご時世ではないことも、このようなスタイルが生まれてきた背景としてあるような気がします。
名のある若手演奏家達は、互いの知名度や人気を今風にいえばシェアして、クラシックのコンサートそのものを新しい手段で活性化しているという事かもしれませんし、これからの時代はそれもアリなのかもしれません。

先日見た『題名のない音楽会』でも、2台ピアノ特集で角野隼人&小林愛実、小曽根真&藤田真央、反田恭平&藤田真央と言った具合に次から次へと組み合わせが変わっていたし、ピアニストも同業者に対してライバルからお友達に変質したようで、結果的に昔とはずいぶん違ったもんだと思います。

同業者として仲良しというのは基本的に結構なことではありますが、一般人にすればある種の特別を求めたい人達が、みんな平和に仲良しですよという在り方は、どこかしっくりこないものを感じる自分がいることも正直なところ。
炸裂する個性、エゴと芸術の危うさ、ヒリヒリするようなライバル関係、すれ違うだけでも火花が散るようなスリルも、我々が彼らに求める特別のひとつですが、今の世代はそういうものは端から求めていないのかもしれません。

老若男女だれもがストレスまみれであるこのご時世に、ライバル同士が確執の炎を上げ続けるのも疲れるだろうし、そのままだと潰し合いになる可能性もあるなら、いっそフツーに仲良くしていたほうが消耗も少ないし、演奏機会という市場規模も拡大できるとなれば結局はメリットも多く、総合的に得策なのかもしれません。
これもいま流行りの「効率化」「費用対効果」と思えば納得がいくし、もっと生々しい言葉を使えば「新しいビジネスモデル」なのかもしれません。

若い世代はこういう波に上手に乗っているようですが、それよりも上の世代になると、そう簡単に方向転換できるものではないでしょうし、なにかと難しい時代になったのかもしれません。