ファブリーニの本

このブログで知り合った方で、折にふれ興味深い情報を寄せてくださるご親切な方がいらっしゃいます。
今回はファブリーニの本が出ているというもので、すぐにAmazonから購入して読みました。

ファブリーニについては、ピアノ/ピアニスト好きの方なら今更説明するまでもない、イタリアを拠点に世界のステージをピアノ付きで飛び回る有名ピアノ技術者。
その顧客はまさに一流ピアニストが名を連ねるもので、多くのコンサートや録音にファブリーニのピアノが使われているのはご存じの方も少なくないでしょう。
とりわけミケランジェリのように楽器に対するこだわりが尋常でなく、そのためコンサートのキャンセルすら厭わなかった鬼才のピアノを担当していたことや、やはり楽器に対する要求の強いポリーニの御用達でもあるなど、ピアノ技術界の有名人でしょう。

ポリーニやシフの演奏動画を見ると、側面のSTEINWAY&SONSの文字の下には「Fabbrini」のロゴが映り、ありきたりなスタインウェイではないことを主張しています。

いつだったか、まだ若い頃のジャン=マルク・ルイサダが来日時のインタビューの中で、「自分は先日ファブリーニのピアノを弾く幸運に恵まれた」「ヨーロッパでは彼のピアノを弾けるということは、ピアニストにとってステイタスなんだ」というようなことを言っていたような覚えがあります。

そんなファブリーニ氏が書いた本というわけで、いやが上にも期待は高まりワクワクしながら読み始めたのですが、意外なことにピアノという楽器に関する氏の考えや技術的な言及は少なめで、もっぱら自分と名だたるピアニストたちの交流録のような内容でした。
素人ながら氏の専門分野における極意や美意識などを少しでも知りたかったので、予想とはやや方向性が違っていましたが、もちろん面白かったのも事実です。

驚いたことに、ファブリーニ氏はこれまでにスタインウェイのD(コンサートグランド)だけで約200台!を購入したのだそうで、スタインウェイ社は2008年にファブリーニ氏の名前入り記念デカールが響板に貼り込まれた記念モデルまで製作したというのですから、その猛烈な数に仰天させられました。
200台というのは過去数十年間での総数で、平常何台ほどのDが待機しているのかは知らないけれど、それから15年が経過していることを考えると、その数はさらに更新されているんでしょうね。
名だたるピアニストとの関係が増えれば、その要望を満たすピアノを提供するためにそこまでしなくてはいけないものなのか…私などにはおよそ想像もつきません。
しばしばピアノの入れ替えも行われているようですし、さらにはステージで使ったピアノを、ピアニストやコンサートを聴いた人が購入希望してくることもあるようで、そうなると同業者との軋轢などが発生するのは万国共通で、敵が多いというようなことも少し触れられています。
ファブリーニ氏の店はスタインウェイの代理店も兼ねているようで、同業者にしてみればこんなやり手が近くにいたらたまったものではないでしょうね。

エピソードのひとつで、ハンブルクのスタインウェイにB型を4台買うつもりで行ったところ、使われた木材のロットでつながりがあることがわかり、試しているうち全部を持ち帰りたくなり、交渉の結果(といったって、お互いビジネスだから一台でもたくさん売りたいわけでしょうが)10台買うことになったといういきさつなどが書かれていたりで、この辺になってくるとやや意味がわかりませんでした。
B型はいわゆる家庭や小規模スペース用のピアノだから、本格的なコンサート用の貸出にはならないことを考えると、主には販売目的の仕入れと思われますが、スタインウェイというそもそもの銘器に、さらにファブリーニというブランドがコラボされれば、10台仕入れても売れる算段があるということでしょう。

とはいえ、本のタイトルは『ピアノ調律師の工具カバン』となっており、そのタイトルに対して内容はいささか「ビジネスの成功本」的な後味は残りました。
ピアニストたちのかかわりにしても、フランツ・モアの『ピアノの巨匠たちとともに』のほうが味わい深く面白かったように思います。

とはいえ、一読しただけで片付けてしまうのもどこか納得の行かないところもあり、念のため始めからもう一度読み返してみましたが、
ピアノに対することがまったく書かれていないわけではなく、そこから見えてきたものは、ファブリーニピアノの主な特徴はタッチにあるらしいことが少しわかった気がしました。
もちろん調律や整音にもさまざまな工夫をこらしているようですが、それ以上にタッチ重視のようで、アクションの存在を忘れさせるような、なるなめらかで意のままになるタッチに仕上げることがファブリーニピアノの一丁目一番地であるような印象が残りました。

これは単にキーが軽いとか重いとかではなく、弾き手の指先(あるいはイメージ?)が弦と直結しているかのように正確に反映されること、つまり奏者と楽器が一体化するような感覚を目指しているのかもしれません。
終演後のニキタ・マガロフから「今日はアクション無しで弾けたよ、と言われたのが私にとっての最高の賛辞だった」とあるのも、そこが最大のポイントだということでしょう。
考えてみれば、キーが多少重かろうが軽かろうが、徹底してなめらかでコントロールしやすいピアノには有無を言わさぬ上質感と親密性があり、喜びと興奮と演奏のイマジネーションが広がるものだから、それは当然ステージ演奏を本業とするピアニストにとって、これに優る心強さと安心感はないのだろうと思います。

上記のルイサダが、その後ヤマハを使うようになったのは、もしやファブリーニのピアノがもつアクションの心地よさがきっかけでは?などと勝手な想像をしたりしています。