藤田真央

ヘルニアは少しずつ改善に向かっている(と思いたい)ので、毎日数行ずつ書いています。

少し前のプレミアムシアターから、ルツェルン音楽祭2022で藤田真央さんがソリストを務めた、ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第2番を視聴しました。指揮はリッカルド・シャイー/ルツェルン祝祭管弦楽団。

小柄な体格ゆえかドシッとした安定感は感じないけれど、リスのような俊敏さがあり、この曲の演奏に期待してしまう大技や重厚なロマンティシズムの代わりに、正確で目の細かい音楽として楽しむことができました。

とくに藤田さんの特徴として感じるのは、どんな音楽も決して大上段に構えるのではなく、もったいぶらず、断定せず、自分の感性に従ったものを臆することなく表現していくところは、なるほど新しい演奏の在り方なのかと思いました。

協奏曲ではオーケストラのトゥッティからピアノが引き継いでいく箇所などは、普通ならソリストとしてのインパクトを示したいようなところでしょうが、藤田さんは川が合流するように流麗にピアノが流れ込み、縫い目のない布のように扱われるし、テンポにおいてもアーティキュレーションにおいても、自己主張より連続性を優先させるあたりは、もっと自己顕示的をしようと思えばいくらでもできるのに、それをしないのは注目に値する点かもしれません。

よほどの自信なのか、そこが彼の個性なのかよくはわからないけれど、これはなかなか勇気のいることでしょう。
風貌も話し方も少年のようでありながら、健康的な大きな手をしていて、それが自在かつ正確に鍵盤上を喜々として駆け回るさまは見事という他ありません。

彼の演奏には、泥臭さ汗臭さが微塵もなく、かといって中身のない無機質な演奏でもなく、キレの良さや繊細芸で聴かせるタイプ。
しかも繊細芸で聴かせるタイプは、聴くものに静寂と集中を強要する場合があるけれど、藤田さんの場合はそれもなく、自由に好きな様に聞いてくれという空気を作り出しているところが、とても珍しいように思います。

尤も、全面的に肯定しているわけでもなく、上記のような特徴のためか、深く歌い込んで欲しいところや、メリハリとなるような明確なポイントとなる強い音が欲しいときなど、もうひとつ物足りない面もあって、個人的には何度も繰り返し聴きたくなる感じではなく、いちど聴けば充分です。

とはいえ、何もかも兼ね備えるというわけにはいかないので、その人にしかない良いところを感じられたらそれでいいのかとも思います。
詳しくは知らないけれど、噂によれば、藤田さんの真骨頂はモーツァルトにあるのだそうで、すでにソナタ全集なども出ているようですが、いつか機会があれば聴いてみたいものです。

いくつか動画で見たことはありますが、なるほどと思う時と、首を傾げる時の両方があって、個人的な評価はまだ定まりませんが、大変才能豊かなピアニストであることは間違いないようです。
ただ彼に好感が持てる点は、そつのない解釈やウケ狙いではなく、彼独自のスタンスで演奏しているように見受けられるところでしょうか?
とくに、今どきの若手の中にはことさら無意味な間をとってみせたり、必要もないのにもってまわったような情感表現をする人もすくなくない中、藤田さんはそういうことには目もくれず、我が道を行っているよう見受けられるのは好感が得られました。

これは今どきの情報過多で、過当競争が激しい時代にあっては、なかなかできることではないと思います。
強いて言うなら、モーツァルトで確かな立ち位置を築きながら、片やラフマニノフの3番のような重量級の演奏もこなしているのは、軽量ピアニストに見られないためのバランス取りというか、防衛策なのかもしれませんが。

何かで見たけれど、ヨーロッパにある彼のアパートでは、ベヒシュタインの中型アップライトを使っておいでのようで「おお!」と思いました。