古き佳き

NHKのEテレで放送されているクラシックTVでは、ピアニストの清塚信也氏がMCをつとめられ、会話を交えながら必要に応じてピアノも弾くというスタイル。

この番組は、とくに熱心に見ているわけではないけれど、らららクラシックのころからの録画設定がそのままになっており、自然にたまっているのをたまに視ることがあります。

スタジオの中央奥のやや右手にスタインウェイDが置かれ、清塚氏の定位置はそのピアノの前なので、クルッと方向を変えるだけでピアノが弾けるようになっています。
以前はここで使われるピアノは入れ替わりがあり、艶出しの新しめの楽器と、つや消し仕様の椀木の形状から、おそらく1980年代以前のものと思われる楽器があります。

始めの頃はしばしば入れ替わっていたので、使えるピアノの都合なのか、もしくは曲目等に応じて入れ替えられているのか…ぐらいに思っていましたが、ここ最近は(間違いでなければ)ずっと古いほうのつや消しのほうだけになったように見受けられます。

ということは、やはり清塚氏の好みの問題で、こちらに定着してしまったように感じますが、むろん真相はわかりません。
艶出しのピアノは最新ではないけれど、サイドロゴの大きな我々が最も聴き慣れたタイプのスタインウェイの音で、キラキラしたブリリアントな音のするタイプ。
それに対して、古いほうは、きれいにオーバーホールされ、再塗装もされているのか傷などもなくきれいで、経年でくたびれている感じも一切ないし、足はダブルキャスター用の短いタイプに換装されているなど、製造年が古いというだけで、とても大切に手を入れられたピアノという印象です。

このピアノのほうが出番が多くなったのが、もし清塚氏の意向なんだったらその理由がなへんにあるのか想像するしかありませんが、少なくとも聞いている限りにおいては、こちらのピアノのほうがふくよかで、音そのものの太さがあると思います。
ふくよかというと、キレの良さより柔らかい音とイメージしがちですが、そうではなく、きちんとした輪郭もあるところがさすがという気がします。
はじめからブリリアントを狙っている音ではなく、基音が力強く骨太で、深さがあり、ソフトにも華麗にも、繊細にもパワフルにも、如何ようにも弾き手次第という感じがあって、だれが弾いても輝く音がすぐ出てしまう新しめのピアノとは決定的に違うような印象です。

どちらがいいかは簡単には決められないことでしょう。
昔ながらの良さを好む人達にはこちらが本来の姿で、使っている材料も素晴らしいなどと言い分はたくさんあるでしょうし、むろん私もそちらに近いのですが、その後の、多少キラキラ系の華麗さを前に出したスタインウェイも、やはりこれはこれで抗しがたい魅力があります。
他のメーカーがこれを表面だけを真似たものは、ケバケバしく、耳にうるさいだけというものもありますが、スタインウェイの場合はやはりなんといっても圧倒的な美しさがある点が決定的に違うところでしょう。

ただ、数は少ないけれど本当に弾ける、芸術的な演奏をするピアニストの場合、自在な表現、楽器を思いのままにコントロールできる音色の幅や懐の大きさのある、少し前の楽器のほうが向いているようにも思います。

新しい世代のスタインウェイは、誰が弾いてもそこそこ美しく仕上がるという点で、それも大したものだと思いますし、それを時代が求めたということであれば、そのように変化したというのもわからないでもありませんが…。

むかし関西のスタインウェイ技術者として有名な方が、自分が過去にNHKで聞いた最も良いと思ったスタインウェイは、長いこと体操番組で使われているアレや!とおっしゃって、大いに膝を打ったことを思い出します。
重厚かつ明晰、ピアノからこんな音が出るのか!といいたくなるような美しいその音は、体操の伴奏には不釣り合いなほど冴えわたっており、これぞ他を寄せ付けぬスタインウェイ!というオーラがあったことを私も子供の頃の記憶としてしっかり覚えています。

おそらくピアノ自体は第一線を退いて演奏収録などにはより新しい楽器が使われて、体操番組などで使われる2軍選手として下げ渡されたものかもしれませんが、そちらのほうが素晴らしかったというのも皮肉な話です。

もしピアノが運搬のハンディのない楽器だったら、きっと大半のピアニストは自分の愛器にこだわり抜くだろうし、新しいピアノがいまのように大手を振ることは絶対にないだろうと思います。