園田高弘

YouTubeを見ていると、昔のETV特集で『核心へ〜園田高弘』という番組に行き当たりました。
園田高弘さんは戦後日本を代表するピアニストのひとりですが、2004年演奏活動もお盛んな中、突然亡くなられたという印象がいまだに拭えません。
御年76歳だったようです。

この番組は園田氏の70歳を記念するコンサートを軸に取材された番組で、演奏とご自宅でのインタビューなどがほどよく配分された45分の番組、おそらく1998年頃の様子だと思われました。

私は個人的に園田高弘さんの演奏は、好きでも嫌いでもないという位置づけで、特別な感心は寄せていませんでしたが、それでもベートーヴェンのソナタ全集や、晩年に九州交響楽団と全曲録音されたベートーヴェンの協奏曲はじめ、多少のCDはもっているという程度の距離感でした。
当時は熱中すべきピアニストがいろいろあって、とても手が回らないといった感じだったと思います。

そして時代はすっかり変わり、今あらためて接してみると、奇をてらってはいないけれど熱い高揚感があり、ときに全体力を投げ打つような渾身の演奏であったことに心を打たれました。
音に重みと力があって、全体はオーセンティックであるけれど、常に明快さと若々しさに満ちていたことは驚かずにはいられませんでした。
断片的に出てきた曲は、リストのダンテを読んで、シューマンの交響的練習曲などでしたが、いずれも演奏という一発勝負にかける気迫のようなものがひしひしと伝わり、音楽においてこの気迫は決して蔑ろにされてはならないものと痛感しました。

今の若い人たちは、譜面の再現という点にかけては完璧といってもいいような演奏をされるけれど、音符は音楽を書き留める手段であって、その先にある最も大切な目的がないように(私個人は)感じられて虚しさが拭えないことが非常に多く、このぶんではピアニストもAIに取って代わる日も遠くはない気がしています。

それに対して、園田氏の演奏は、いい意味でほんの少し先が見えないところがあって、曲が進むにつれてどういう反応になるか、
いかに解決するかを見守る余地が残されており、それが期待通りだったり、それ以上だったりそうでなかったり。
そのような余地のあるところが、聴くことのワクワク感ではないかと思いました。

また話しぶりも自然で人間味があり、その場で自分が考えたこと感じることが言葉となり、そこにこれまでの生きざまや生涯に裏打ちされた説得力があり、これは演奏にも通じるものでした。

だから、ブーニンを「100年に一人出るかどうかの天才」などと評したのも、おそらくコンクールを目の当たりにした氏はそのときは本当にそう感じて、素直に出た言葉だったと思います。
パリに留学中、もっとも衝撃的だったのはフルトヴェングラー/ベルリン・フィルを聴いたこと、ピアニストではギーゼキング、バックハウス、ケンプとのこと。

園田氏のご自宅は、昔からLPのジャケットになっていたり、雑誌等でも目にすることがありましたが、私としては非常に興味津々の空間で、そこが写真よりも拡大的に映ったのも大いなる収穫でした。
ピアノが4台あり、2台ずつ並んで向かい合わせに、上から見ればきっと揚羽蝶のように置かれています。
ヤマハ、スタインウェイ、ベヒシュタイン、ブリュートナーで、その上や周辺には無数の本や楽譜が積み上がり、壁には作曲家の肖像や美しい絵画が架けられており、その芸術的な雰囲気は何時間でもいたくなるような空間でした。

もう一つ驚いたことは、70歳の記念コンサートでは、ヤマハのCFIIIS(たぶん)が使われていましたが、これまで聴いたことのないような凛として懐の深い、現代的な美しさも持つピアノで、ヤマハにもこんなピアノがあったのかと思うようなピアノでした。
強いて言うなら、ヤマハの個性というより、かなりスタインウェイに近づけたような印象ではあったけれど、しかしあそこまでできれば立派といいたい素晴らしいピアノでした。

ああ、今なら園田さんのコンサートがあれば、喜んで行きたいなぁ…と思ってしまいました。