レガシーピアノ

1963年開館の福岡市民会館は、昭和の後半、地元におけるクラシックコンサートやバレエ公演の中心地でした。
私の幼少期、生のスタインウェイの音として耳の奥深くに刻み込まれたのは、ほとんどがこの市民会館のピアノだったということは以前に書いたとおりです。
時代はめぐって音楽専用ホールというものがポツポツ出現してくると、市民会館はメインホールとしての立ち位置をしだいに失っていきました。
ピアノも同じ運命で、いつしか別のホールに移され、近年その倉庫で眠っていたところ、フレームに市民会館時代にこのピアノを弾いた往年の巨匠たちはじめ、多くの演奏家のサインが40ほどあるということから、福岡の音楽シーンの歴史的価値を伝えるピアノとみなされ、これを修復して残すという運動が始まったようです。

それが公にされたのは昨年のことで、詳しい時期は忘れましたが、今後一年をかけて修復されるとのこと。
そして10月には古巣の福岡市民会館においてお披露目コンサートが行われ、その後は福岡市美術館の収蔵となり、美術館内でのコンサートなどに供される由。

修復費用はクラウドファンディングによって集められ、個人的にもきわめて思い出深いピアノであるため、本来ならほんの気持ちだけでも参加したいところでしたが、どうも話の具合いがしっくり来ないため、結果はなにもしませんでした。

昨年の報道によれば、修復には1800万円が必要と発表され、ピアノの修復はどれぐらいかかるのか、おおよその相場は知っているつもりだったので、まずその数字に激しく驚きました。
記憶違いでなければドイツに送って作業するらしいとも聞いた覚えがあり、優秀なピアノ技術者が多く揃っている日本で、まして現役でもないピアノにはいささか過剰ではないのか?という気持ちを抱きました。
そしてピアノは既に「埼玉に送られた」ということで、そこがドイツへ送る仲介をするのか?…たにかく、そのあたりの事情は一切語られないのでまるでわかりません。
複数の技術者さん(関東の方を含む)とも考えましたが、埼玉でそこまでする工房というのはついに思いつきませんでした。

これが個人もしくは民間の会社や団体などのピアノなら、どこでどのような修復するかの判断は所有者の自由ですが、市が購入し長く市民に親しまれてきたピアノであれば公共性が絡んでいる筈で、それなら地元(もしくは近隣)の相応しい技術者によって修復されることにも意味があり、それが本筋ではないかとも思います。
しかし、なんら経緯は明かされないまま、事後報告と支援募集のみでは、なにか釈然としないものを感じました。

それから一年余。
ようやく「レガシーピアノ」が修復を終え、再び市民会館のステージに帰ってお披露目コンサートが行われたというニュースを目にしました。

ニュース映像を見て、はじめに違和感をもったのは足の部分。
スタインウェイのC/Dのような大型モデルでも、1970年代ぐらいまでは足先には小さなキャスターが付いているだけでしたが、ホールやスタジオなど移動が多い使用には不向きなことから、後年ダブルキャスターという大径の車輪がつくようになります。
それにともない足の形状もダブルキャスターの高さに合わせて形状が修正され、例えば以前書いたNHKのクラシックTVでMCの清塚氏が使っている古いスタインウェイも、足はしっかりダブルキャスター用に付け替えられています。
いっぽう2300万円もの支援金を得て生まれ変わったレガシーピアノではダブルキャスターになっているけれど、足の交換はされておらず、古い足が大型キャスターの高さに合わせて切り落とされているのみ。
オリジナルを重視したとも言われそうですが、一般にダブルキャスター変更時に足を切って使うのはコスト上の理由以外には考えられません。

響板は張り替えられたようで白く美しいものになっており、ボディの塗装は塗り直されてきれいですが、ニュース映像で見るかぎりでは第一級のクオリティとまでは思えませんでした。
フレームは歴史的サインを残すためそのままで、これはこのピアノの存在価値を示すものだからしかたないところでしょう。

そのフレーム関連で目を引いたのは、演奏者から見てフレームの最も手前側、つまり鍵盤寄りの直線部分で、ここにはボディとフレームの間に1cmにも満たない隙間があり、この当時のスタインウェイは深い緑のフェルトがキッチリと差し込まれていて、その後1990年代中頃からは上部に黒の細長い棒がかぶせられるスタイルになっています。

ヤマハの場合、そこに赤のフェルトが使われていて、それがフレームより上まで飛び出しているので、ピアノのお尻側からピアニストの顔が映るような角度から見ると、顔の下に派手な赤の一直線が左右に走り、これだけでヤマハとひと目でわかる部分です。

ところが、このレガシーピアノでは、なんとそこが赤のフェルトになっており「わぁ、ヤマハっぽい!」という感じでした。
ほかにも気にかかる点はありますが、やめておきます。

さて、この文章を書くにあたってネット上に残っているニュース映像を再確認したところ、まだ見ていなかった長いバージョンがあり、そこにはお若い感じの技術者の姿があって、アナウンスによれば「このピアノの修復を担当した◯◯さん」といわれたのには驚きました。
この方が一年かけて作業されたのだそうで、ピアノはドイツになど行っていないということがわかり、そこで初めて工房で修復中の写真なども映し出されました。

ちなみに、福岡市美術館の公式ページからリンクするかたちで「レガシーピアノ保存プロジェクト」という別サイトがありましたが、修復作業をなぜ遠方の工房へ依頼することになったかの経緯や、修復過程の写真なども一切なく、作業に関連することが皆無であるのは、肝心のものがストンと抜け落ちているようでした。

さらに、市民会館でのお披露目コンサートは一回限りで、有名ピアニストを4人も招いて行われたにもかかわらず、知るかぎり一般公開はされず、寄付をした企業や個人だけが対象だったようです。
市民会館のピアノが修復されて古巣に戻ってきたというのであれば、入場料はあっていいから誰でも聴きに行けるものにしてほしかったし、支援者には優先的招待でよかったのでは?と思います。
支援した招待客で満席というのならやむを得ませんが、映像で見た限り、客席後方はかなりガラガラで、私も行けるものなら行きたかっただけに残念ですし、やはりこのお話はどこかしっくり来ないのです。