本家の修復

ネットというのは不気味なもので、レガシーピアノのことをあれこれ見たせいか、自動的に類似の動画などを手繰り寄せてくれるのですが、その中に興味深いものがありました。

山形県の県立長井高校という歴史ある学校にあるスタインウェイのおはなし。
1923年(大正12年7月11日)にハンブルクから日本へ向けて出荷したという記録があり、同校の1926年の卒業アルバムには、すでにそのスタインウェイが写っていることから、おそらくこの学校のために新品がはるばるドイツから取り寄せられたと考えられ、昔はこのような篤志家がおられたんだなぁと感心させられます。
戦前はピアノといえば必然的に高級輸入品の時代だから、主だった学校には世界の銘器がわりにあったようで、国内メーカーのピアノが学校現場にも台頭してくるのは戦後になってからでしょう。
このスタインウェイは県立長井高校で大正・昭和・平成・令和にかけて、途中、大戦をもくぐり抜けて100年生きてきたピアノだと思うと唸ってしまいます。

ところが、2002年、そのスタインウェイについに廃棄処分の話が出たとか。
しかし当時の音楽の先生が廃棄は忍びなかったようで、スタインウェイジャパンに連絡したところ、無料で引き取ることになり、住み馴れた学校を離れることになったものの、これにより廃棄処分されることは免れたようでした。

それから一年、「修復できました」との連絡が学校にもたらされたというのです。
スタインウェイジャパンによって完全修復されたとあらば商品価値も高く、市場に出せば引く手あまただったはずですが、「もし学校が引き取られるのであれば、(修復に)かかった費用だけでお譲りすることもできます」という提案だったようで、その先生は「なんとか取り戻したい」という思いから、多くの人達を巻き込んで長井高校の同窓会を中心に費用を集め、ピアノは美しく蘇った姿でめでたく長井高校に戻ってきたそうです。

響板も張り替えられ、全塗装、弦やハンマーはじめアクションその他の消耗パーツはもちろん、見た感じでは鍵盤まで新しいものになっているようで、まさに国内最高レベルの修復だったのでしょう。
スタインウェイ社のメニューに沿った作業だったと思われますが、これにかかった費用というのが450万円だそうで、むろん大金ではありますが、このところその4倍の金額を繰り返し聞いていたので、ずいぶんリーズナブルなものに思えてしまいました。
ただし、この修復が行われたのは2004年ごろで、今ならまた違ってくるとは思いますが、何倍にもなるとは考えられません。

個人的には、スタインウェイジャパンだからといってすべてが絶対だとは思っているわけではありませんが、非正規の修理を事あるごとに非難し注意喚起している発信源でもあり、いちおう信頼できる作業だっただろうとは思います。
そういう意味では、価格も定められた基準から算出されたものと考えれば、これが業界における当時の最高額と考えてよいだろうと思われます。

ちなみに長井高校のピアノは中型のB-211で数字は奥行きを表しており、コンサートグランドはD-274なので奥行きがちがいますが、修復にかかる手間というのは、大きく変わるものではありません。
違うのは弦の長さや、響板の広さなどですが、それらが多少加算される程度で、基本は大差ないのです。

ひとつだけ決定的な違いを挙げるなら、レガシーピアノは修復を機にダブルキャスター化されていたので、これは部品代だけで結構なお値段がするでしょうから、その違いはあるとしても。

その後、このスタインウェイは長井高校の歴史ある大切なピアノとして、3年に一度、ホールに運んで著名ピアニストによるコンサートを行っているようで、生徒さんたちも文化面での新しい注目点ができたことでしょう。
これほど見事に修復されたオールドスタインウェイが自分の学校にあり、在学中その音がピアニストの演奏でホールで聴けるなんて、長井高校の皆さんはなんと幸せだろうと思います。

ピアノは弦楽器とちがって所詮は消耗品!などとさも訳のわかったような顔で断じてしまう方がいらっしゃいますが、修復ピアノをみていると、良いピアノなら100年でも150年でも使い続けられるということが証明されているわけで、いっぽう長持ちするはずの弦楽器の場合、いいものは定期的に技術者に託されて非常に高度なメンテを必要とするなど、多大な手間暇やコストがかかることも見落とすべきではないと思います。
それに比べればピアノは長いこと厳しい環境に晒され、ガンガン使われ、それでも数十年に一度、本格的なオーバーホールを受ければ見事に蘇るわけで、もし弦楽器にピアノ同様の扱いをしたならたちまち崩壊してしまうにちがいありません。

ドイツのスタインウェイ本拠地であるハンブルクでは、100年も前のスタインウェイを修復し、世界的ピアニストのコンサートにもたびたび提供されていたりと、ピアノの寿命というのは手を入れればとてつもなく長いものであることは間違いないようです。
それを最も認めたがらないのは、新品を一台でも多く販売して利益に繋げたいメーカー自身かもしれません。