負け慣れ?

動画配信というものができたお陰で、かつてだったら考えられなかったペースで、日常的に映画やドラマを見るようになりました。
少し大げさに言えば、生活が変わったと言ってもいいかもしれません。

むかしむかし、貸ビデオというものが始まった時、自宅に居ながらにして見たい映画を個人が任意に見られるということに驚いたものですが、いまやそれがポケベルからスマホになるぐらいの進歩を遂げたわけですね。

映画好きの知人などは、毎日深夜まで一本以上の映画やドラマを見ているそうで、私はそこまでのパワーはないけれど、それでも二つの配信会社と契約して、これをまったく見ない日というのはほとんどありません。

とくにこだわりもないので、面白そうなものがあれば国内外を問わずなんでも見てみる派ですが、強いて言うと日本が世界に冠たるアニメだけは、まだ選択の対象にはなっていないぐらいでしょうか。
なので、もっぱら普通の映画/ドラマということになりますが、そこでいつも残念に感じることがあります。
個別の作品ではなく、全体を通じてのざっくりした話ですが、どうして日本映画はこうも遅れているのかと思うことが多すぎ、これには各作品の出来不出来を超えたものを感じます。

概ね作りも内容も浅薄で、ことさらな叙情やきれい事が横溢、人間や社会の真相に迫るパワーはあまりに小さく、なんのための作品なのかもよくわかりません。
見る人を楽しませる、あるいは社会的な何かを問いかけるといった目的意識も薄く、ほとんど作り手の甘い自己満足としか思えないことが多すぎて、見ていて恥ずかしく、情けなく、腹立たしくなるのです。

なにより日本映画/ドラマの甚だしい遅れを感じるのは、韓国のそれにくらべた時です。
韓国が国をあげてエンターテイメントの分野に注力していることは近年知られているところですが、もはや手が届かないまでに引き離され、このままではその差が縮まる希望もありません。
こうしてはいられない!勝負してやろう!という気迫がまったく感じられないのは歯がゆいばかり。

目の前の韓国があれだけのものを続々と作り出しているのだから、触発されて日本もレベルが変わってくるはずだと思うのですが、そんな気配もないのはもはや開き直りでしょうか?

韓国の作品といえども出来不出来はもちろん、ツッコミどころもあるけれど、全体としての出来ばえは圧倒的で、まず単純に面白いしストーリー展開もしっかり練りこまれており、まぎれもないプロの作品で、幼稚で学芸会みたいな日本は相手になりません。
日本は経済だけでなく、すべての面で負けグセがついてガッツまで失っているのでしょうか!?

ひとつ聞いた覚えがあるのは、日本映画は国内需要を満たせばそれでどうにかなるのに対して、韓国は国内だけでは市場規模が小さいので始めから世界を目指しているというのですが、それだけとは思えません。
アメリカや中国のような大国ならともかく、日本の国内需要など韓国より少しぐらい大きいといったって、たかが知れている筈です。
エンタメ文化が、まるで軽自動車のように、はじめから見切りをつけて作られているのなら、海外の映画祭などに未練を残すこともないのでは?
日本作品の特徴はまずセリフが少なく、やたら沈黙するシーンだらけです。
脚本自体もプロの書き手とは言いがたいような稚拙なものが多すぎて話が心地よく運んでいかないから集中力が途切れ、いつも赤信号の横断歩道で待たされているようです。
沈黙によって登場人物の心情を語らせているなどと抗弁されそうですが、説得力のある筋立てや雄弁な台詞が書けないから、動きのない沈黙で時間を稼ぎ、お茶を濁しているようにしか思えないのです。

もうひとついうなら、映画に必要なダイナミズムもエグさもなく、なにもかもが淡白な枠の中で小さく処理され片付いてしまうのは、楽しむための映画でまでそんなものを見たいとは、私は思いません。

マンガやアニメのことはわかりませんが、あちらは海外に向けて勝負に打って出て勝利を勝ち取ったのでしょうか?
私の印象では、たまたま海外から思いがけない高評価が得られたので、評価の逆輸入という現象によって、認識されたような印象が拭えません。

その他、ドラマでいうと、海外モノと著しく違うのはエピソードの数です。
日本のものは、だいたい6話ぐらいで、たまに10話とか12話があれば珍しいほうでしょう。

それが海外作品では、一昔前に流行ったSUITSなどは百数十話で、これだけの数を見通すだけで大変でしたが、トルコの「オスマン帝国外伝」に至っては500話近い超大作で、それを見続け、作り続けるエネルギーに感心してしまいます。
この手をいくつか制覇してしまうと、数十話なんて珍しく思わなくなり、日本の全6話など笑ってしまうほど規模が小さい…という感じしかありません。
むろん長ければいいというわけではありませんが、海外ドラマの多くは数十話、人気作になれば3桁のエピソード数になるということは、それだけ見る人を惹きつける魅力があるということでもあり、実際、ドラマといっても映画並みに小道具にまでこだわった高いクオリティが保たれているのは感心するばかりで、日本は真剣さや熱量がずいぶん足りないように感じるこの頃です。