9月29日の朝刊一面には、なんと『あまロス続出』という大きな見出しが踊っていました。
ちなみにスポーツ新聞の話ではありません。
これはいうまでもなく、その前日に最終回を迎えたNHK連続テレビ小説の「あまちゃん」のことで、半年間このドラマにどっぷり浸かっていたファン達が、一斉にその喪失感をネット上に訴えたのだそうです。
記事によれば、多くの人達が被ったその喪失感は大変なものらしく、「燃え尽きた」「もう午前8時には起きられない」「やる気が出ない」「これがあまロスか…」といった調子でつぎつぎにツイッターやネット上に最終回後の感想を投稿したと書かれてます。
マロニエ君も連続テレビ小説だけはいつも録画して見ていますが、たしかに今回の「あまちゃん」はこれまでとは一線を画した面白さがあったと思います。
とりわけ印象的だったのは、第一回目からなんともいいようのない楽しさというか、惹きつけられるものがあったことを思い出しますし、たしかこのブログにも、あまちゃんスタート直後に「いっぺんに青空が広がったような」というような記述をした覚えがあります。
通常は出来不出来はべつにしても、前作に半年間慣れ親しんでいるぶん、新作に切り替わった直後の朝ドラというのはどうもしっくりしないものです。見る側もしばし気分の切り替え期間が必要で、最低でもはじめの一週目はよそよそしい感じがあるものですが、「あまちゃん」にはそれがまったくありませんでした。
このドラマの良かった点は、とにかく理屈抜きの明るさと笑いがあったこと、どの登場人物にも個性と味があって飽きることがなかったこと、東京のような大都市が決して絶対の価値ではないということを上手く訴えた点、さらに云うと日本人が心の中ではもう好い加減うんざりしているキレイゴトや建前の支配でストレスを受ける心配がここにはないという解放感があったように思います。
娯楽で見るテレビドラマからまで偽善や同意できない正論を押しつけられる鬱陶しさがなく、全編を貫く明るさと、センスあるお笑いが随所に盛り込まれて、すっかり疲れてしまっている日本人の気分を束の間でも愉快爽快にさせてくれたところが、これだけの人気を勝ち得たのだろうと思います。
そもそも、あんな二十歳前の東京育ちの女の子が、東北に移り住むなり、なんの躊躇もなく東北弁をしゃべりまくり、憧れの先輩にも「せんぱい、おらと付き合ってけろ!」となどと大真面目に言ったり、GMTメンバーによる各地の方言が盛大に飛び交う様なども、無定見に定着してしまった今どきの価値基準をひっくり返してしまうような面白さがありました。
現代は、みんな暗くて鬱屈しているからこそ、ひとたびスポーツ観戦だの、最新スマホの発売だのと、それほどでもない事を口実に不自然なバカ騒ぎを演じ、空虚な高笑いや興奮を通じて、別件の憂さ晴らしをするのだと思います。それだけ自然体の楽しいことに縁遠くなっているから、このドラマは心の中の干からびた部分にスッと染み入ったんでしょうね。
マロニエ君はいつも、土曜の朝、BSで一週間ぶんまとめて放送される朝ドラを録って、つねに二週前後ぐらい遅れて見ていますから、実はまだ最終回に到達しておらず、したがって「あまロス」ももう少し先になりそうです。