紙一枚の差

ピアノの調整は奥に行けばいくほど、非常に繊細で緻密な領域であることはいまさら云うまでもありません。以前もタッチの軽すぎるカワイのグランドのハンマー部分に、わずか0.5gの鉛片を貼り付けただけで、タッチが激変したばかりか、音質までもがはっきりと力強くなり、まさに一挙両得だったことは既に書いた通りです。

それと似たことがあったことをふと思い出しました。

少し前に、ディアパソンの調律に来ていただいたときのことですが、そのころはまだ交換した弦もハンマーも馴染みが足りず、もうひとつ鳴りがパッとしないように感じていたのですが、その対策としてあれこれの手を入れてもらいました。

そのひとつで、通常はかくれて見えませんが、キーの下には緑色の丸いフェルトが敷かれており、これが打鍵によって降りてきたキーを受け止めるようになっています。そして、さらにそのフェルトの下には同じ直径のフロントパンチングペーパーという丸い紙が複数枚敷かれています。
この紙には厚さによる違いがあり、技術者さんはその都度必要に応じてこの紙の厚さや枚数を入れ換えながら、キーのわずかな深さを調整しますが、それは同時に音にも密接な関係があるようです。

紙の厚さは何種類もあるのですが、驚かされるのはその違いはまさにミクロの世界で、普通の厚紙ぐらいのものから、本当に極薄の、わずかな鼻息でも飛んでしまうほどペラペラのものまであり、こんなもの一枚あるなしでタッチが変わるとは、俄には信じがたいような気になるものです。

そんな中で、もう少し力強い音が出るようにと、技術者さんは主だった(というか必要と判断された)部分を、おおむね0.2mm薄くされました。
薄くするということは、つまりキーの沈み込みが0.2mmぶん深くなるということですが、通常キーが上下に動くのは10mm前後、つまり約1cmですから、そこでたかだか0.2mmの違いがどれほどの意味があるのか?と考えてしまいますが、それがピアノ調整の世界ではきわめて大きな意味をもつようです。

「0.2mmはこれです」と抜き取った小さなドーナツ状の紙を触ってみても、ただの薄い紙でしかなく、こんなもので何かが変化するとしても、たかがしれていると思うのが普通です。

しかし技術者さんは、黙々と作業を続け、いろいろな色(色によって厚さが違う)のパンチングペーパーを出したり入れたりと、その変更・調整に余念がありません。

どれくらい経った頃だったか、その作業が終わり「ちょっと弾いてみてください」といわれ、これがマロニエ君はいつも嫌なのですが、そんなことも云っていられないんので、素直に従って弾いてみると、なんと僅かではあるものの、でも明らかに前とは違っています。

たったの0.2mmの違いが、紙を触ってもわからなかったものが、ピアノの鍵盤の動きとしてなら明瞭にその差を感じることができることは驚きです。具体的に何ミリということでなく、感覚的にあきらかにキーが少し深くなっていることが体感できるし、さらに驚くべきは明らかに音にメリハリが出て、力強さが加わっていることでした。
あんな小さな薄っぺらな紙一枚の差が、これほどピアノのタッチや音色まで変化させるとは、実際に体験みてみると呆れるばかりで、いまさらながら楽器の調整というものが、いかにデリケートな領域であるかを再認識させられました。

それだけにひとたび調整の方向を誤れば、まさにピアノはあらぬ方向を彷徨うことになり、技術者の能力の一つは、問題の原因は何であるかを、短時間のうちに的確に見極めることだと思います。見当違いのことをいくら熱心にやられても、望む効果は得られず、だから世の中には潜在力は高いものがある筈なのに、どこか冴えないピアノが多いのだろうとも思われるわけです。

ピアノは高級品になればなるほど、出荷調整にも優秀な技術者の手間と時間が惜しみなくかけられるようですが、このフロントパンチングペーパーの厚さひとつをとっても、ほんの僅かなことが大きな違いになる世界では、製品としていくら完成していても、楽器としてはまったくの未完成で、各所のこまやかな調整が滞りなく行きわたっていなければ、その真価は決して発揮できないことがあらためてわかります。

そういう意味では、普通のピアノでも、技術者の正しい調整を受ければ受けるだけ、そのピアノはある見方においては高級ピアノだとみなすこともできるのかもしれません。