新たなストレス

信じ難いようなニュースが日常的に飛び交うこのごろですが、子供を含む未成年者への残虐行為などが毎日のように伝えられるのは、社会がどうしようもなく歪んでいるようで恐ろしいことです。

先日も驚愕するとともに考えさせられる事件が発生しました。
高校生ぐらいの数人が、ひとりの年上者(未成年)を呼び出して殴る蹴るの暴行を加え、さらに両足を縛って川に突き落とし、書くのも嫌なようなことが行われてひどい重傷を負わせられたというものでした。

しかもその理由というのが驚きを倍加させました。
何度かメールや電話をしたのに、返事をしなかったということに腹を立てて、このような酷たらしい懲らしめに至ったということでした。

これに関連した説明によれば、世の中はいまやスマホの全盛期。そのスマホにはLINEという通信アプリケーションを備えるのが常識だそうで(マロニエ君はいまだにガラケーのユーザーですが)、これにより同じアプリ同士ではメールはもちろん通話も無料になるのだそうで、これはネット電話なので外国との通話も同じになり、海外の相手と何時間しゃべってもタダというのは、そのような機会の多い人達にとっては圧倒的な魅力になっているようです。

そのLINEの機能のひとつに、送ったメールを相手が開いたか開いていないかを送信者が知ることができるというのがあるそうで、これによって「メールを見たにもかかわらず相手は返事をしてこない」という新たな不快感が利用者の心の中に発生しているのとか。

こんな機能があるばっかりに、多くの利用者の間で新たなストレスが呼び起こされて社会問題になっているというのです。つまり知らなくていいことまでわかるからよけいに不快要因が増えるというわけで、一部にはこの機能を撤廃してはという案も出ているとか。マロニエ君もそんなものはないに限ると思います。

すこし話の軸がずれますが、まあごく単純な意味としてだけで云うと、出したメールに返事がないことは精神的に愉快でないのはわかります。
もちろん、現代は誰もが忙しく疲れているのに、むやみにメールのやりとりを続ける必要はないとしても、最低限の反応は儀礼上あってしかるべきで、反応があるものと思っているメールに一向に返事がないのはやっぱりいい気はしないし、存外心にひっかかるものです。そうなると、さらにこちらから重ねてメールする気にもなれず、そんなささいなことがきっかけで、相手への連絡そのものが途絶えてしまうような局面を迎えることにもなり、そんな展開なんてバカみたいでやりきれません。

何事も程度問題というわけですが、社会生活を送り、そこに人間関係がある以上、メールが来れば反応するぐらいの気持がないと、相手は無視されているような、自分という存在が切り捨てられているような気分になる場合だってあるでしょう。いわば話しかけているのに返事をしないことと同じですから、そこには常識的な配慮の気持は欲しいところです。

もちろん上記の事件のような「犯罪」は断じて許されるものではありません。同時に、現代人はひじょうに不安で傷つきやすくなっているという点も、お互いが認識しておきたいところです。

メールは相手の状況が見えないぶん、解釈が悪い方へ広がる余地もあるわけで、だからよけいに配慮が問われるのかもしれません。