ヤン・リシェツキ

カナダの若手ピアニスト、ヤン・リシェツキのピアノリサイタルの様子を録画で観ました。
1995年生まれで、一昨年2011年の来日公演ですから、このときわずか16歳というのは驚くべきですが、その風貌はというと、とてもそんな歳とは思えない長身の金髪青年で、ピアノがひとまわり小さく見えるほどの偉丈夫ぶりでした。

リシェツキの存在は数年前から時折聞こえていましたが、いわゆる天才少年というものは、音楽の世界では決して珍しいものではありませんし、世界的演奏家は大半が天才だといっても過言ではないかもしれません。
ただし、その天才にもランクというものがあるようですが。

マロニエ君はショパン協会公認とかいうポーランドお墨付きのCDで、彼がワルシャワでショパンの2つの協奏曲を弾いたライブ盤を購入していましたが、そこに聴く印象では、技術的にも立派で滞りなく弾き進められているし、それが14歳の少年であることを考えると、もちろん大したものだとは思いましたが、では本当に心底驚いたのかといえば、実はそれほどの何かはなかったというのが偽らざるところでした。
その昔、同じくこの2曲による12歳のキーシンのデビューライヴ録音を聴いたときの、驚愕と衝撃には較べるべくもなく、往々にして第一級の天才というものは、聴いている大人の心の深い綾のようなところにまで迫る真実とオーラを有しているものです。

リシェツキのこのCDは、もうずいぶん長いこと聴いていないので記憶も曖昧ですが、そんな真の天才少年少女にみられる、ナイーヴな感性の支配によって切々と語られる純潔な詩情と憂いに、聴く者の心が大きく揺さぶられるような要素は乏しく、どちらかというと常套的・優等生的な演奏だったという印象だったことは覚えています。

そのCDいらい、はじめて接するリシェツキでした。
曲目は、バッハの平均律第二巻から嬰ヘ短調のプレリュード(フーガはなし)ではじまり、メンデルスゾーンの厳格な変奏曲、ショパンの作品25のエチュード。

全体の印象として、凡庸かつ平坦なものしか感じられませんでした。一般的なピアノ演奏技術の習熟という意味において、彼が並外れて早熟な能力をもつ青年であるという点では異論はありませんが、それ以上のもの、すなわち演奏芸術としての何らかの価値を聴く者が受け取るまでには至らなかったというのが偽らざるところでしょうか。

若くて純真な感性の独白が音楽を通して語られ、したたり落ちるのではなく、意志的に構成された、思索的な演奏である点がむしろ音楽として中途半端となり、却って彼の年齢からくる未熟さを露呈してしまうようで、修行半ばにしてステージに出てきてしまったという印象。
また、このリシェツキに限ったことではありませんが、若い演奏家にしばしば見られるのは、芸術家としての成熟を深めることより、チケットの売れる演奏家として出世することのほうに意欲が注がれ、音楽に対する率直な憧憬とか尊崇の念が不足するのか、指は動いても空疎な感覚がつきまとう点でしょうか。なんであっても構いませんが、そこに真実の裏打ちがない演奏の多いことは非常に気になります。

ピアノはヤマハCFXでしたが、少ない音を普通に弾くぶんにはとてもよく鳴っているという印象があるのに、音数が増えて折り重なったり、強い重低音を多用する場面になると収束性に乏しく、ショパンのエチュードop.25の10、11、12番で連続して出てくる激情的な部分、あるいはフォルテが主体となり強いタッチが交錯する場面では楽器の性能が頭打ちになってしまうようで、ダイナミックレンジの狭さを感じてしまいました。
個体差であればとは思いますが…もうすこし懐の深さが欲しいものです。