音響の憂鬱

前回の「音響」ということで思い出しましたが、少し前、久しぶりにピアノリサイタルに行きました。久しぶりであるだけに多少の期待も込めながら席に座りました。

あえて個々の固有名詞は使いませんが、会場は福岡在住で多少なりとも音楽に関心のある人なら誰でも知っている、かなり稼働率の高い小さなホールです。

交通の便と260席というサイズからここを利用する演奏者は多く、小規模のコンサートはこのホールがその需要の大半を握っているといっても過言ではありません。
しかしその音響の酷さは以前から悪評高く、マロニエ君自身もこの点で最も行きたくないホールのひとつなのですが、それでも、これに替わる使いやすい小ホールがないという現状を背景に、オープンから約20年を経過して尚、ここばかりが頻繁に使われています。

その理由は専らロケーションで、少し郊外にいけばもっと良いホールはいくつもあるのですが、もともと集客の見込めないクラシックでは、場所が少しでも不便になるともうそれだけで人の足は向きません。従って音響に多少の問題があろうと、都心にあるこのホールばかりが利用されるという状況が生まれてしまうようです。

その音響ですが、何度行っても慣れるどころか、そのたびに「うわぁ、これほどだったか!」と新鮮なショックを受け、終演の頃にはフラフラになるほど神経が疲れてしまいます。
壁などのホールの内装材は、見た目には木材らしきものが使われており、いちおう尤もらしい姿形にはなっているものの、そこで耳にする音はおよそ美しい音楽のそれとはかけ離れた衝撃音の滝壺にでもいるようです。

知人によれば「あそこは古楽器とかギターのリサイタルがせいぜい」といいますが、まさにその通りで、ピアノリサイタルともなると、まるで温泉の大浴場にスタインウェイを置いて弾いているようで、その音はまさに暴風雨のごとくホール内を暴れまくります。

この日は、あまつさえピアノのコンディションも芳しくなく、品性の欠片もない音がビンビンと出てくるばかり。ピアノを聴く期待と喜びは一気に苦痛の2時間へと暗転です。
こうなるとスタインウェイの特性が裏目に出て、荒れた倍音が神経を逆撫でするのは拷問のようでした。よほど途中で帰ろうかとも思いましたが、そうもできない事情もあって最後までこの苦行になんとか耐え抜き、終演後は足早に会場を飛び出しました。
帰宅後はすぐに食事をして、そのままベッドに倒れ込みましたが、誇張でなく本当にそれほど疲れてしまったのです。

ピアニストはテクニシャンを自負しているのかもしれませんが、ほとんど格闘技のようにパワーで押しまくり、力でねじ伏せて拍手喝采を取りつけるやり方は、まるでスポーツ系だと思いました。
ほんらいプロの音楽家は、ホールの響きとピアノの状態を察知して、可能な限りそれにかなったやり方で最良の演奏を聴衆に提供すべきですが、弾ける人は弾けるところを見せつけて会場を圧倒し、夜ごとヒーローにならなくては気が済まないものなのかもしれません。

コンサートにも後味というものがありますが、なんとなく良い気分になって帰路に就くことは、なんと難しいことかと思わずにはいられません。

念のために言い添えておきますと、マロニエ君はこんなブログを書いてはいますが、実際にはホールもピアノも演奏も、決して厳しいことを言い立てるタイプではないのです。そこそこのものであればじゅうぶんで、単純に満足できますし、だいいちそのほうがずっと自分が幸せというものです。

理想を追い求めるのは、常に不満の充溢する嶮しい道を進むことで、マロニエ君はとてもそんな道に耐えていくだけの気概も胆力も能力もありません。
ただ、それでも、じぶんがいやなものはいやで、そこにウソはつきたくないというだけのことです。