クロイツァー豊子

レオニード・クロイツァーといえば、戦後の日本に於けるピアノ教育の中心的存在であったことは誰もが知るところです。
そして、その夫人は門下生でもあった日本人のクロイツァー豊子さんです。

クロイツァー豊子さんご自身も教育者・演奏家として活躍され、現在でも多くのお弟子さん達が活躍されており、その功績は大変なものがあるようです。ところが、その演奏はまったく耳にしたことがなかったため、彼女の晩年の演奏がCDとなったので聴いてみることにしました。

これは、カメラータ・トウキョウの有名プロデューサー、井坂紘氏がプライベートCDを耳にする機会があったことに端を発して製品化され、発売されたもののようです。
演奏は1987年、1989年、1990年のものから集められたもので、豊子さんは1916年の生まれですから、すべて70代前半のものということになり、しかも1990年に亡くなられているので、ほとんど晩年の演奏ということになるようです。

その演奏には洗練があり、時代背景などを考えてみれば、やはり驚くべき演奏であるというのが率直なところです。
1916年といえば大正5年で、こんな時代に日本で生まれ育った女性がピアノを学んで、ここまでの演奏をものにしたということは、ご自身の才能や夫君の影響などがあったにせよ、豊子さんのピアノに託した純粋で高潔な精神の賜物であることは疑いようもないでしょう。

とくに西洋音楽の分野は、マロニエ君の子供のころでさえ、まだまだ今とは遙かに事情が違っていましたから、ましてや祖父母の世代にあたるこの時代の日本人が、クラシック音楽の真髄を目指して一心不乱に人生を全うされたことに、ストレートな感動を覚えずにはいられませんでした。

このCDに収められたのはすべてショパンの作品ですが、豊子さんの時代は、ショパンといえばコルトー、コルトーといえばショパンという絶対的な尺度がありました。このCDの演奏にもマロニエ君の耳にはコルトーの影をうっすらと感じる部分があるようにも思われましたが、同時に、より普遍的で、夫クロイツァー氏の影響も大きかったのか、そこにはロシア的ドイツ的な要素も帯びていうべきなのかもしれません。

その演奏に時代を感じさせるのは、豊子さんが生きた時代そのものに、今日のような音楽上の土壌がない分、とにかく真面目に「学んだ」、必死に「身につけた」という固さがある点ですが、まずはこの時代の日本人が、これだけの演奏術と音楽的教養を習得されたというだけでも天晴れといったところでしょうか。

徹底して真っ当でごまかしのない、美しいお点前のような見事な演奏ですが、表現性という点に於いてはいささか型通りというか、ややお行儀が良すぎて、もうひとつ自然体の語りがないのが本質的に素晴らしいだけに残念です。
そこに一片の閃きや冒険があれば云うこと無しなのでしょうけれど、それを今の基準で求めるのは酷というものかもしれませんし、それを求めたくなるほどの高い次元に到達しているという証明でもあるでしょう。おそらくこの時代は、楽譜通りに弾くというだけでも大変だった筈ですから、いかに豊子さんがそういう基準とは一線を画した、高度な演奏を目標とされていたかが伺われます。

ライナーノートの見開き一面には、クロイツァー夫妻の仲睦まじい様子を捉えた写真がありますが、それは結婚直後の茅ヶ崎の自宅の由。そこに置かれたピアノは、かのクララ・シューマンやヴァルター・ギーゼキングが愛した銘器グロトリアン・シュタインヴェークでした。