日本の自動車ジャーナリストの草分け的存在で、海外にもその名が知られる重鎮といえば、最も権威ある自動車雑誌「カー・グラフィック」(1962年創刊)の生みの親である小林彰太郎さんであることは、車をいささかでも趣味とする人ならご存じのことだろうと思います。
一昨日の新聞によれば、その小林彰太郎さんが28日亡くなられた記事が掲載されていて、見るなり思わずサッと血の気が引くような気分でした。享年83歳。
東大卒業後、自動車ジャーナリストを目指し、英国の有名自動車誌を下敷きにして、さらには花森安治氏の「暮らしの手帖」の編集姿勢(何者からも干渉されず真実を正しく伝えるという理念)を手本としながら、公正な自動車の評価と高尚な趣味の両立を目指された、日本の自動車界に於ける評論の一大巨星です。
小林彰太郎とカー・グラフィックはいわば同義語で、最盛期にはこのジャンルのまさにカリスマ的高みに達した存在で、小林さんの批評は業界・マニアを問わず最も影響力のあるものでした。
また日本のみならず、海外での知名度は大変なものらしく、とりわけクラシックカーの分野に於ける小林さんの存在とその博識・功績は本場ヨーロッパでも高く評価されるものでした。
元F1レーサーにして、その後はヨーロッパ随一の自動車ジャーナリストとしてその名を轟かせた故ポール・フレール氏は、この分野での神のごとき存在ですが、その彼をいち早く日本に招き、カー・グラフィックのレギュラー執筆者とすることで、誌面はいよいよ華を添えることになります。毎月毎号、興味深い記事が日本の読者のために寄せられ、これはポール・フレール氏が亡くなるまでの長きにわたりました。
カー・グラフィックはマロニエ君が長年愛読してきた唯一無二の月刊誌で、ほんの子供だった1975年から購読を開始、その後はバックナンバーを集めるなどしながら、今日までそれが続いているのは我ながら呆れてしまいます。我が家の自室前の廊下の書棚には、このカー・グラフィックが実に500冊以上もびっしりと並んでおり、しかも一冊が月刊「太陽」よりもさらに大きく、どっしり分厚いことから、もはや家屋構造の一部といってもいい勢力になっています。
マロニエ君がこのカー・グラフィックから学んだことは、自動車のことはもちろん、それ以外にも計り知れないものがあったと思います。わけても小林さんの記事は魅力的で、内容の信頼性の高さもさることながら、文章がまた見事でした。豊富な語彙、適切な比喩、音楽への造詣の深さなど、その後登場するいかなる同業者も太刀打ちできない深みと説得力と品格がありました。
小林さんの新型車の記事などを読むと、その広範な知識と感性、さらには素晴らしい文章が相俟って、読み終えたときには、まるで自分が手足を動かしてその車を運転したかのような気分にしばし包まれてしまうような、ずば抜けた表現力に溢れていました。
マロニエ君はこの小林さんの文章から覚えた日本語も多く、文学者以外での自分の国語教師の一人とも思っていますし、クラシック音楽にも通じた氏は、まったく経験のない新しい車に乗ってみるときは「初見」という音楽用語を使われるなど、他の自動車ジャーナリストとはまったく異質の、自動車を主軸とした教養人であったといっても過言ではないでしょう。
「ジャーナリストは死ぬまで現役」と言われた通り、最近では活躍の量こそ少なくなっていましたが、ついこの前も新型クラウンのロードインプレッションなどを読んだばかりで、まさに最後まで現役を貫かれたようです。