天皇の御料車

小林彰太郎さんの著述には長年にわたり多くを学ばせてもらったマロニエ君ですが、強く印象に残るもので且つ異色なものは、20数年前、今上天皇の即位式典でおこなわれたパレードで使われた車への苦言でした。

このとき、即位式を終えられた平成の陛下と美智子さまが正装でお乗りになったのは、ロールス・ロイスのコーニッシュというオープンカーでした。

ロールス・ロイスといえば誰もが知る英国の超高級車ですが、コーニッシュというのは2ドアのコンバーティブルで、当時のロールス・ロイスのラインナップの中では最もカジュアルな位置付けのモデルであり、いかに高額ではあってもスポーティかつプライベート用の車なのです。通常のリムジンとは違って、コーニッシュの上席はあくまでもフロントシートであり、この車のハンドルを握るような大富豪は、普段用には運転手付きロールスの4ドアリムジンをちゃんと持っていたりするのがその世界の常識のようです。

さて、即位式のような国家を挙げての式典で天皇陛下がお乗りになるからには、車にも自ずと格式というものがあるのは云うまでもないことで、いかにロールス・ロイスとはいえ、この場にコーニッシュはまったく不適切な選択であり、マロニエ君も当時、見たときに強い違和感を覚えた記憶がありました。

ドアには金色に輝く菊の御紋が恭しくつけられているものの、正装の両陛下は、2ドア車の狭い後部座席にお乗りになって、沿道の人々にお手振りをされていたお姿が、なんともしっくりせずお気の毒な印象でした。

このような場面で使われるべき最も格式高いオープンカーは、ランドーレットという、最大級リムジンをベースにした専用車で、前半部は通常の屋根をもち、後部のみオープンになる特注のボディをもつスタイルです。世界中の元首や王侯貴族は、ここから沿道の観衆に向かって威厳をあらわし、歓声に応えるわけです。
もちろん後部用のドアがあるのは当然すぎるほど当然で、2ドア車のフロントシートを倒して、正装の要人がよいしょと乗り込むなんてことは、本来あり得ない事なのです。

しかるに、即位のパレードに臨まれる陛下を、あろうことかそのカジュアルな2ドア車の後部座席へお乗せするとは、宮内庁の式部官などまわりの人達の不見識が甚だしいと、小林さんはこれにいたく憤慨して、ついには「天皇の御料車」という単行本を上梓されたほどでした。

そこでは御料車にふさわしい車とはいかなるものかが事細かに丁寧に述べられ、このような本が出たことで、この誤りは即刻正されるとマロニエ君は思っていたところ、その後の皇太子殿下と小和田雅子さんのご成婚パレードで、なんと、再びこのコーニッシュが登場したときはさすがに仰天したものです。

すぐに思い出されたのは小林さんのことで、あれだけ勇気をふるい、著作をもって正しい提言をされたにもかかわらず、宮内庁がまたしても同じ過ちを繰り返したことは、どれほど落胆されただろうかと思い、いち国民としてもこの光景はただただ残念というほかありませんでした。
このような映像はただちに世界中に配信され、そこに映る不適切な車は日本の恥になることでもあるのに、なぜ改められないのか不思議という他はありません。

しかし、結果はともかくも、このような提言は小林さんだからできたのであって、今後そういう発言のできる見識ある自動車ジャーナリストなど、どう見渡してもいそうにはありません。

その後、御料車として長らく使われてきたニッサン・プリンス・ロイヤルに代わって、センチュリーをベースにした新しい御料車が登場しましたが、その中にランドーレットが含まれているかどうかは不明です。しかし、本来は御料車を製作するにあたっては、通常のリムジンの他にランドーレットと霊柩車の3種を作るのが正式で、プリンス・ロイヤルには霊柩車は存在していましたが、ランドーレットがなかったことが、そもそも上記のような失態が起こった原因なのだろうと思われます。