邂逅

小林彰太郎さんが作った「カー・グラフィック」は、他の自動車雑誌とは一線を画する記事が満載でしたが、その中には、「長期テスト」といって編集社で話題の車などを実際に購入し、各編集員が一台を担当して日常の足として徹底的に使用してみることで、わずか数日のテストでは得られない部分を報告していくというものがあります。

最近は若者の車離れという世相を反映してか、この長期テスト車もずいぶん数が減ってしまいましたが、最盛期には10台以上の長期テスト車フリートを擁し、それだけでも誌面はたいへんな活況を呈していました。

むろん小林さんも長期テスト車の担当者の一人で、ある時期、一台のフランス車が小林さんの担当となり、それはマロニエ君およびその仲間達の愛用する車でもあったので大いに喜んだものでした。
この長期テストには読者へのモニターの呼びかけというものがあり、それに名乗りを上げた同型車のオーナー達にはアンケートが送られてきて、その回答からユーザーの満足度や不満点など、さまざまな内容が誌面で報告されます。

小林さんは数年数万キロにわたって日常を共にしたこの車にいたく感銘を受けられ、長期テスト終了後には、あらためて自宅用の車として新車を購入されるほどの高い評価でした。

そこで、当時マロニエ君が所属していた同車のクラブでは、節目にあたる全国ミーティングに小林彰太郎さんをお招きすべく事務局が編集部に掛け合ったところ、なんと了解が得られ、業界きっての大物が会場の箱根のホテルにゲストとして一泊で参加されることになりました。

マロニエ君はこの記念イベントに参加すべく、福岡から自走して箱根に向かいましたが、途中は普段なかなか行くことのない各地のピアノ店巡りをしながら、その終着点として箱根を目指しました。そのため前泊はせず、当日朝からの参加となりました。

それが幸いしたのかどうかはわかりませんが、ホテルに到着すると、まわりの皆さんの計らいによってロビーで小林彰太郎さんと二人だけで話をする機会を作っていただき、長年文章でばかり接してきた巨匠とついに相対して言葉を交わすことになりました。
はじめはいちおう車の話をしていましたが、マロニエ君が福岡からピアノを巡る旅をしてきたことを口にすると、たちまち話題は音楽の話になり、小林さんもお若い頃はコルトーに熱中しておられたという話を聞きました。わずか15分ぐらいの時間でしたが、忘れがたい思い出になりました。

その後、コルトーの日本公演の中から、小林さんも胸躍らせて行かれたという日比谷公会堂でのライブがCDとして初めて発売されたので、それを小林さんにお送りしたところ、丁寧な御礼の手紙をいただきました。カー・グラフィックのコラムのページでいつも見ていた直筆のサインとまさに同じ筆跡の「小林彰太郎」という文字を封筒の裏に見たときは、さすがに背筋に寒いものが走りました。

マロニエ君はCDに添えた手紙に「このときの演奏会は日比谷公会堂が購入したニューヨーク・スタインウェイのお披露目も兼ねていたらしい」ということを書き添えていたところ、届いた手紙には、自分が聴いた日のピアノはたしかプレイエルだった筈だ、というようなことが書かれていました。

その後も車のことでお手紙をいただきましたが、それは決して形式的なものではない丁寧なもので、一介の読者でも大切にされる小林彰太郎さんのお人柄が伺えるものでした。このときばかりは全国のファンから御大を独り占めにしたようで、嬉しい反面、さすがに気が引けたことを思い出します。

さて、前号のカー・グラフィック(2013年11月号)には、小林さんによって撮影された前後間もない車の写真が連載されるページがあり、その隅には、愛知県長久手市のトヨタ博物館で3ヶ月近くにわたって「小林彰太郎 フォトアーカイヴ展」というのが開催されており、10月27日には小林さんが会場入りして、トークショーやサイン会がおこなわれる旨が記されていました。
しかし、実際にはその予定の翌日である28日に亡くなられたわけで、まったく人の命とはわからないものだと思いました。
若い頃から蒲柳の質だったようで、いろいろ大病もされたようですが、最後まで現役を貫かれたことはさぞかし本望だったことだろうと思います。