続・左手ピアニスト

左手ピアニスト、智内威雄さんの番組で、冒頭から聞こえてきたピアノの音は、普通とはちょっと違う、燦然とした響きのパワーをもっており、のっけからおやっと思いました。

カメラがピアノに近づくと「ああ、そういうことか」とすぐにわかりましたが、これは神戸の有名ピアノ店所有のニューヨーク・スタインウェイで、いわゆるヴィンテージピアノです。ずいぶん昔にはスタインウェイ社の貸出用に使われていたという来歴をもつ1925年製のDですが、やはりこの時代のニューヨーク・スタインウェイはすごいなあと思います。

何がすごいかと云えば、単純明解、良く鳴るということです。
鳴りがいいから音にも力があり、敢えて派手な音造りをする必要もないようで、太くてどこまでも伸びていきそうな音が朗々と響き渡ります。昔のピアノの音色には、変な味付けがされていない楽器としての純粋さがあるように思います。いわば豊かな自然から生まれたおいしい食材のようなもので、ごまかしがないところが素晴らしい。

もちろん素材としての味は濃厚ですが、それはけっして添加物の味ではありません。
演奏され、ピアニストの技量によって繰り出される音楽の要求に応えるための音であり、その領域に特定の色の付いた音が出しゃばってくることはありません。

その点、現代のピアノは、パッと見は音もタッチもきれいに整っていますが、全体に小ぶりで器が小さい上に、いかにもの味付けをされている傾向があります。いとも簡単に甘くブリリアントな耳触りの良い音が出るようになっており、こういう感じはウケはいいのかもしれませんが、その音色には奥行きも陰翳もないし、弾き込まれて熟成されるであろう感じなども見受けられず、今目の前にあるものが最高の状態という感じです。アコースティックピアノなのに、まるで電子ピアノのような無機質の偽装的な美しさがあるばかりで、音色はあらかじめ固定されてしまっている。

しかし、これでは演奏によって作り出されるべきものを、予め楽器のほうで勝手に決定されてしまって、演奏者から、音色や響きを演奏努力によって作り出す余地さえ奪っているようなもので、悪い言い方をすれば演奏の邪魔をしているとも感じます。

智内さんのご自宅(もしくは個人の練習室)には、新品のように美しくリニューアルされているものの、戦前のニューヨーク・スタインウェイの小さめのグランドがあって、楽器の音にも独自のこだわりをお持ちの方のようにお見受けしました。

また、神戸のあるホールで開催された智内さんのコンサートの映像では、古いヤマハのCFIII(たぶん)を使ったものもありましたが、これが意外なほど渋みのあるいい音だったことは驚きでした。過日書いた広島での小曽根真さんのときと同じく、マロニエ君はこの頃のヤマハのほうが音が実直かつ厳しさがあり、ピアノ自体にも強靱さがあって、はるかに観賞に堪える音のするピアノだと思います。

スタインウェイに話を戻すと、智内さんが通って練習を続け、コンサートにもその特別なピアノを運び込む神戸のピアノ店がしばしば登場しました。ここはマロニエ君も何度か訪れたことがありますが、この店にある年代物のスタインウェイは、どれもその老齢とは逆行するような溌剌としたパワーを漲らせており、「ピアノはヴァイオリンと違って純粋な消耗品」などという流説がここではまるきり通用しません。

マロニエ君は決して懐古趣味ではありませんが、ピアノはやっぱり昔のものの方が全般的に素晴らしいという印象は、このところますます強まるばかりです。
もちろん、個体差もあれば、例外となるメーカーもあるとは思いますが、時代の流れとして全体を見た場合、概観すればそういう現実があると個人的には思っています。