二度目の終焉

もう十日以上前のことですが、検索にヒットしたネットニュースを見ていると、ショッキングな内容が目に飛び込んできました。

このところ不振が続いていたパリの名門ピアノメーカー、プレイエルがピアノ製造を停止する旨を発表したということです。
数年前にやはり販売不振を理由にアップライトの製造を中止し、近年はグランドのみの製造になっていましたが、それも有名デザイナーとのコラボで、凝った外装を持つヴィジュアルが前面に押し出されたもので、なんとなく楽器の魅力というより嗜好品的な方向を目指しているイメージだったのですが、それが最後の延命策だったのかと思います。

記事によれば、現代はピアノメーカーにとっては非常に厳しい時代で、ドイツ・ピアノ製造者連盟のマネジングディレクター、シュトロー氏によれば「ドイツ国内のピアノメーカー数社は厳しい競争に直面して、最高級品に焦点を当てている」と述べたそうです。
ドイツでさえそうなのだから、一部のファンからのみ好まれるフランスのメーカーともなれば、このような成り行きも当然ということでしょうか…。

これは、第一には世の中のニーズが様変わりし、アナログの象徴たるピアノに対する需要が著しく落ち込んでいることに加えて、1990年代以降は、日本に加えて中国の参入によって、高品質低価格のピアノがヨーロッパの市場を席巻したためのようでもありました。

そもそもクラシック音楽じたいが衰退傾向にある時代に、もはやヨーロッパの中堅メーカーが生き残る術はないということなのか…。欧米人は日本人が考える以上にドライなのだそうで、よほどの富裕層でもない限り、寛容な買い物はしないのでしょうね。
「最高級品に焦点を当てている」というのは、要はそれ以外では勝負にならないという意味でしょう。

といっても、スタインウェイでさえ、またしても身売りされてしまったし、ベーゼンもヤマハ傘下になり、もはや品質や名声だけではピアノ製造会社は生き残りができない時代は、ますますその厳しさがエスカレートしているようです。

考えてみればピアノというのは、製造する側から見れば中途半端な製品で、工業力や設備投資、最低の人員などを必要とする、楽器と工業製品のはざまに位置するものともいえるでしょう。
工房規模で一流品を作り出すことはまったく不可能ではないのかもしれませんが、なかなか困難で、仮にどんなにすばらしい楽器でも演奏家はそれを持って歩くわけにもいかず、ここがまた市場としての需要を作り出す要素としては中途半端です。

その点、弦楽器などは極端な話、天才的な名工であれば一人でも製作は可能で、本当に良いものなら演奏家などが放ってはおかないでしょう。
しかしピアノは、その重く大きな図体から「そこそこでいい」という習慣ができてしまっており、演奏者の求める要求も弦楽器のように高度なものではないということがピアノの運命を決定してしまっているのかもしれません。

ピアノメーカーもやみくもには必要ないと思いますが、少なくともプレイエルほどのメーカーなら、小規模でもなんとか存続できる程度のゆとりはある時代であってほしいものですが、なかなかそう上手い具合にはいかないようです。