ガマンの風船

間接的にですが、知り合いの医師から興味深い話を聞きました。

今の人が、表向きはひじょうにおだやかで、人間関係にも昔では考えられないほど用心深く、専ら良好な関係を保とうと努力しているにもかかわらず、ごくささいな行き違いやつまずきが原因で、あっけなく絶縁状態になってしまうことが珍しくないのは多くの人が感じているところでしょう。

何かあればそうなるであろうことを互いによく知っているから、ますます慎重に、ソフトに、ことさら友好的に振る舞うようですが、そのために少なくないストレスと疲労を伴います。それほどの努力を積み上げていても、何かちょっとでも気にそわない事が発生すると、多くの場合は無情にもそれで関係なりお付き合いはThe Endになるというのです。

聞いたのは、なぜそれほど些細なことで、絶縁という深刻な事態に発展するかというと、表面上良好な関係が維持できているときでも、すでに水面下ではあれこれとお互いに気に入らないことが頻発しており、それを常に押し殺し、ガマンにガマンを重ねているのだそうで、つまり常にいつ破裂してもおかしくないパンパンの風船みたいな状態になっていると見ていいんだそうです。

だから、小さな針の一差しで風船が破裂するように、そんなストレスまみれでぎりぎりに保っているバランス状態に、ちょっとしたミスやつまずきが起こると、それで最後の均衡が崩れ、ガマンの堤防は一気に決壊するという、甚だ不健康なメカニズムなのだそうです。

ではなぜそこまでガマンするのか。
ここからはマロニエ君の私見で、上記の話のパラドックスにすぎないことかもしれませんが、要するに現代は人とケンカができない、利害と打算と建前の世の中になってしまったということだろうと思います。
別にもめ事が良いことだと暴論を唱える気はありませんが、ケンカをしないようにするために、昔のように気を許した本音のお付き合いができなくなり、ノーミスが要求され、絶えず気を張って善良に振る舞うことに努めなくてはならなくなります。

しかし、ビジネス上の接待などならいざ知らず、通常の人間関係に於いてそんな演技のような関係ほど息の詰まることはありません。こういう風潮になってからというもの、本音をひた隠しにして、当たり障りのないことばかりを唇は喋り続け、ほとんど腫れ物に触るように気を遣いまくります。しかもそれは、本当に相手に対する気遣いではなく、これだけ気遣いをしていますよという自分の善良な姿を周囲にアピールしているだけ。要は自分の点数稼ぎにすぎないし、最低でもマイナスポイントだけは付けないように気を張っています。

現代人が表向きはおしなべて人当たりがよく、良好なような人間関係を保っているように見えるけれども、内情はまったくその逆というのは、かねがねマロニエ君も感じていたことでした。
良好なような振る舞いを見せられれば見せられるほど、そこには虚しいウソっぽさが異臭のように漂ってくるものです。

少しでも本音らしきことを漏らせば、すかさず「まあまあ」とか「いいじゃないですか」というような、オトナぶった、温厚の仮面を被った、極めて抑圧的な官憲の笛のような警告が飛んできます。
うかうか自分の考えもなかなか言えない世の中ですから、そりゃあ、破裂するのも当然でしょうね。