けちんぼ

吝嗇家とは、早い話が「けちんぼ」のことです。

いきなりですが、圧倒的な異才で一世を風靡したパガニーニは大変なけちんぼのようで、コンサートともなると会場の手配からキップ売りまですべてを自分で差配し、当日もお客さんの受付が済むと会場に鍵をかけてから演奏したというのですから驚きです。
パガニーニといえばグァルネリ・デル・ジェズの「カノン砲」と呼ばれる名器を使っていたことでも有名ですが、この名器もさる篤志家から進呈されたもので、そのタダでもらったカノン砲を人に見せるのさえも断じて拒んだという、筋金入りのけちんぼだったそうです。

パガニーニほどの天才なら何をやっても超越できるでしょうが、凡人はなかなかそうはいかず、所詮は人との関係を良好に保って生きていくしかなく、そうなるとけちんぼというのは割に合わないというか、その副作用も大きいと思います。

むかしから「けちんぼは得をしない」と言われていますが、これはまさに正鵠を得た言葉だと思います。けちんぼにもタイプがあって、それをある程度カミングアウトして陽気にいくタイプと、決してそういう顔はせずに、けちんぼであることをひた隠しにしながら、あくまで表向きは常識人の顔を作ろうとする、いわばむっつりタイプがあります。

前者は笑って済まされますが、後者には独特の冷たさと暗さを周囲に与えます。
陽気なけちんぼは自分はけちんぼだという自覚と笑いがあるのでまだ救えるのですが、後者は薄暗い心根にたえず支配され、ここはまさに明暗を分けるところ。人には悟られていないという甘い判断と、開き直っていないぶん内面の緊迫があり、これが最も始末におえないものです。

そのむっつりに限った話ですが、けちんぼというのはなにも物質や金銭に限ったことではなく、思考そのもの、つまり脳の機能が自動的にケチの方向に働く人のことですが、当人はそれを自分の才覚や賢さとさえ考えたりするようで笑ってしまいます。賢いどころか人に悟られていることさえ気付かない愚鈍な感性の持ち主でもあります。

かくいうマロニエ君も自分がケチではないと言い切る自信はありませんが、むっつりけちんぼのそれはどだい次元が違います。本物のけちんぼというのは思考を超えて体質であり、生理であり、細胞の問題なのかもしれません。彼らはそのせいで自分の人間的評価を大きく落としてしまっている。

商売の極意は「小さく損して、大きく儲ける」だそうですが、これは萬すべてのことに当てはまるように思います。けちんぼはまず儲けのための呼び水ともいうべき「小さく損すること」そのものが体質に合わず、頑なにそこから逃げてしまうので、当然ながら大きく得する展開に与ることはできません。

しかもそれで確実に得をするというものでもなく、当然ながら損のままで終わってしまうことも多々あるわけで、それが耐えられない。小さく損をしておく事は物事に対する広い意味での投資と見なすこともできるわけですが、けちんぼさんはそういう不確実なことに投資することに価値を見出せないようです。

人間関係の基本はギブ&テイクです。しかし、むっつりさんの特徴としては、他者からの恩恵は受けても、自分のほうが何かをしなくてはいけない局面になると、たいてい知らん顔を決め込みます。まったく気がつかない訳ではないようですが、そこでちょっと黙って過ごせばそれで事は済み、その一回分得すると脳が指令を出すから、できるだけそういうときは「意志的に消極的に」なるのでしょう。
ただこれは、当人はうまくやっているつもりらしいですが、相手には残酷なほどバレています。それを口にしないだけで、知らん顔VS知らん顔です。現代人はそういう演技はお手のものですから。

「小さく得して、大きく損する」のは人生経営としては甚だ割に合わないことだと思いますが…。