カサカサと潤い

今年の前半にわけあって家のエアコンを入れ換えたのをきっかけに、この冬から再びエアコン主体の暖房に切り替えることになりました。

「再び」というのは、以前も基本はエアコン暖房だったものの機械全体が古びていたので、石油ファンヒーターを常用していたのですが、灯油を数日に一度、ポリ容器を車のトランクに積んでスタンドへ買いに行かなくてはならず、その煩わしさだけでも馬鹿になりませんでした。

エアコンはわりに強力なものを取りつけたので能力的に不足はないのですが、その代償として恐ろしい勢いで湿度が下がってしまいます。
これでは温かさは得られても心地よさはないし、喉はカラカラ、皮膚も乾燥気味で痒くなるし、なによりピアノが心配な状況に陥りました。この冬のはじめから、湿度計の針は連日40%を割り込むようになり、慌てて加湿器を引っぱりだしましたが、これをフル稼働させても過乾燥には追いつかず、寒さが募るにつれてエアコンの出番が増えると加湿器を回していても40%台に届かず、ついにもう一台、加湿器を買い足すことになりました。

この一週間ほどは常時2台の加湿器のスイッチが入っていますが、それでもどうにか40%強にもっていくのがやっとです。しかもそれほど大型でもないためか、一日に2台ぶん水を何回も補充しなくてはならなくなり、部屋に入るたびに加湿器の水量をチェックするのが、すっかりこのところの日課となってしまいました。

この状態で数日経過してみると、多少は部屋の温湿度が改善されて過ごしやすくなりましたが、自室に戻るとまたカラカラで、こんどはこっちが耐え難くなり、やむを得ずまたまた小型の加湿器を買ってしまいました。

こうしてみると、石油ファンヒーターは灯油を買って入れるという面倒な問題があるものの、温かさは心地いいし、燃焼時に適度な湿気も発生させるらしく、過度の乾燥状態になることもなく、なんだか懐かしいような気がしています。
プラスチックや人工素材より木のほうが身も心も落ち着くように、暖をとるにしても、やはり電気で作られたカサカサの温風より、たとえ石油ファンヒーター程度でも、灯油を燃やし火をたいて作り出す温かさのほうが数段心地よいという当たり前のことが、いまさらのようにわかりました。

だったら以前のように石油ファンヒーターに戻せばいいのですが、そうすると、またあの寒い夜の灯油買いの往復が始まると思うとそれはそれでウンザリで、おまけにエアコンのほうがはるかにランニングコストが安いらしいこともわかると、そうまでして敢えて石油ファンヒーターを使うというのももうひとつ決断がつきません。

このように、現代人は本当の心地よさはどこにあるかをちゃんと知っていながら、それを犠牲にしてでも、便利さや低コストに走ってしまうという浅ましさと愚かさがあるのが自分でわかります。結局それにかかる手間ひまや面倒臭い労働、さらにはコストを考慮することで、つい大事なものを犠牲にするという業のようなものだろうと思います。

ましてやそれがビジネスともなれば、原価はもちろん、手間暇、効率、時間などもすべてコストとして換算され、それを前提とした厳しい利益の追求になるわけで、普及品のピアノなんぞが木の人工乾燥はもちろん、人工素材を極限まで多用して製造されるのは当たり前という感覚がひしひしと伝わってくるようでした。

その点、むかしは何事においても選択肢がなかったため、ごく自然に一定の質を得られたという一面があり、そのために資源の無駄遣いもしたでしょう。でも、お陰でなんとなく社会全体がおだやかで潤いがあったような気もします。