過日、知り合いの先生の教室のピアノ発表会があり、手伝いにもならいない程度のお手伝いをさせていただき、子ども達のかわいい演奏を聴かせてもらいました。
とても純粋で無垢な演奏が次々に披露されましたが、それとは別に、ここで目にした人々の行動にもついつい注目させられました。
会場設営は先生のご夫妻がされ、出演する子ども達が待機するための椅子がピアノの側に並べられ、あとはそのご家族などのための小型の椅子がランダムに置かれました。そして椅子が足りない場合はカーペット敷きであることから床に座っていただこうという趣向です。
ところが人の動きというものはそうそう思い通りにはなりません。
時々刻々と集まってくる家族連れのみなさんは、会場の最後部にある入口から入ってくると、ほとんどの方ができるだけ後ろに陣取ってしまいます。
これが続くと、最後部だけが混み合って、中ほどは空いているという偏った状態になります。
マロニエ君は入口すぐのところに立っていたために、来られる方々には、「中のほうへどうぞ」と何度も促すのですが、口ではハイといいながら、やはり混み合った後ろの中になんとか潜り込もうとされる方がほとんどでした。
重ねて「奥へどうぞ」と言いますが効果はなく、後ろがどうにもならないことがわかると、やむなく前に移動されますが、それでもほんのわずかで、とにかくできるだけ後ろがいいという強い意志が感じられました。
中には腰を屈めながらも珍しく前に進む方いらっしゃいますが、それはたまたま前のほうにその方のお知り合いがおられて手招きがあったりしたためで、そういう事情のない方は窮屈でも後ろの混雑の中へ分け入ります。
結局、中ほどはそれなりのスペースがあるのに、うしろ1/3ほどは満員電車のような状態で、もうどうすることもできません。みなさんよほどの慎み深い方ばかりのようですが、演奏がはじまると少し事情が変わります。ほうぼうからカメラやビデオを持つ腕がコブラの頭のように立ってきて、とくにビデオの方は良いポジションを得ようと、左右にしきりと位置を変えてこられます。
ついさっき奥へどうぞと何度もおすすめしても遠慮がちに頑として前には行かれなかった方が、ことビデオ撮影となると別人のようにアクティブな動きになり、最後は椅子に座っている女性の頭の真上に最良のポジションを定められたようですが、写真と違ってそれがずっと続くわけですから、下の方もかなり気になっただろうと思います。
ここには人の不可思議な心理の働きがあるのは疑いようもなく、大勢の中で自分が目立つ前方には行きたくないし、みんなが自然に後ろに固まっていれば、なおさら自分もそちらがいいという気持に拍車がかかる。でも写真やビデオとなると、一転して良好なアングルで写したいという別の願望が出て、相矛盾する気持が渦巻く中でこういう状態が生まれるのだろうと思います。
マロニエ君なら、後ろなら後ろでおとなしくしているか、カメラやビデオ撮影という目的があるのなら、はじめから良いアングルが確保できる場所に座るか、どっちかに定めると思います。
いったん会場に人が入ると、なかなか現場で対策が打てることではないので、前もってできるだけ前方に椅子を置き、個人の意志とは関係なく人の流れが中央へ来るように持っていかなくてはいけないのだということがこの経験でよくわかりました。
電車でもエレベーターでも、中は空いているのに、ドアの近くだけ揉み合うように人が集まるというのがありますが、まあそれは乗り降りという実際的な問題もあるのでまだわかりますが、ピアノの発表会でもそういう現象が起こるというのは思ってもみませんでした。
専門的なことはわかりませんが、この状況もいわば集団心理のひとつだろうとマロニエ君の目には映りました。ただし、外国人ならどうでしょう。なんだか今どきの日本人特有の現象のような気もするのですが…。