お好きな方には申し訳ないですが、個人的な好みということで許していただくと、マロニエ君にとってNHKの紅白歌合戦はどうしようもなく苦手なもののひとつです。
当然ながら毎年これをわざわざ視ることはしませんが、テレビの電源を入れると、チラッと見えたりすることがあったりで、そのたびにウワッと驚いてしまいます。
演歌や歌謡曲が苦手ということもありますが、それより、あの紅白の舞台上に繰り出されるやたら派手々々の、老若男女、都市から田舎までフルカバーしようというNHK的娯楽の世界がどうも苦手で、さらにはそれが大晦日の日本の茶の間の相当数を牛耳っているところがまたたまりません。
思い起こせば、マロニエ君の子供のころは紅白歌合戦の全盛時代だったように思いますが、その後は時代の移り変わりとともに、民放でも打倒紅白というような気運が高まり、紅白以外は「裏番組」といわれながらも、その時間帯を各社なんとか対抗できる番組を作ることにしのぎを削っていたようでした。
さらに時代は流れ、ついに紅白は衰退の道を辿りはじめたと記憶しています。
紅白はあくまでも演歌や歌謡曲が国民の娯楽として高い位置にあることを前提として、大晦日にその一年の総決算として、このジャンルの頂点に君臨する娯楽歌番組の最高峰だったわけですが、世の中が多様化して飽満になり、演歌や歌謡曲の人気が下降線になると、紅白そのものの存在意義すら危ぶまれるところまで行った時期がありました。
社会の価値やニーズもすさまじいスピードで変化し、視聴者の世代も代替わりして、もはや年の瀬の紅白歌合戦で無邪気に喜ぶような時代ではなくなったという新しい流れでした。
ところが、いつごろからかはわかりませんが、再び紅白は不思議な感じに復権の兆しを見せ始めてきたように思います。
世の中からある種の活力がなくなり、人々がより画一化された動きを取るようになったからなのか、一時は「多様化」の言葉の通りいろいろな遊びや楽しみの在り方があふれていましたが、それさえも衰退しはじめ、世の中はやたらとイベント参加型の乾いた時代を迎えたように思います。
要は遊びまで人から与えられる規格品のようになり、本当の意味での娯楽や享楽の醍醐味がなくなります。
イベントとはしょせん主催者が作った遊びの枠組みですが、それに受身で参加することで満足してしまう事があまりに氾濫しているようにも感じるのはマロニエ君だけだろうかと思います。
各地各所では大小のイベントが目白押しで、昔なら見向きもされなかったようなものまで不思議なくらい人々が押し寄せ、参加すること、あるいは参加したことを楽しんでいるようです。
これは何かを主体的に選び取って熱心にあるいは奔放に楽しんでいるというより、一般に「楽しい」と規定されているものに自分も関わり参加するというカタチを得ることで安心し、その安心は満足や達成感に拡大解釈されているような気配を感じます。
紅白歌合戦も、本当に登場する歌手や歌を堪能しているというより、年末の風物詩としての大イベントに「視ることで参加する」というカタチを手に入れようとしているだけの人も案外多いのかもしれません。
44.5%というとてつもない視聴率の数字を視ると、本心ではどうでもいいと思っている人でさえ、視るように無意識に追いつめられてはいないのだろうかと、つい変な勘ぐりをしてしまいます。
もちろん、ただヒマだから…という単純な動機の方もいらっしゃるでしょうが。