プロ意識の奥行

ここでは必要ないと思われますので、敢えて固有名詞は控えます。

それでもわかる人にはわかる事でしょうが、そのときは、あくまでマロニエ君が個人的に感じたことということで寛大に受け止めていただけたらと思います。

先ごろ日本人のさる有名アスリートが活躍の拠点を海外に移すべく、大変な注目の中、日本を旅立っていきました。
その様子をニュースでチラッと見ましたが、空港に詰めかけた大勢のファンに対する謝意やサービスはおろか、これという反応や挨拶もなく、この人物はこのような報道カメラの砲列と夥しいファンの歓声は、自分にとって空気のように当たり前だと思し召すのか、不機嫌そうにサングラスをかけ、黙して昂然と搭乗ゲートへと歩を進めて行きました。

マロニエ君が以前聞いた話では、野球選手がメジャーリーグなどへ移籍して、はじめに彼我の違いに驚かされるのは、彼の地での選手達に科せられたファンサービス義務の厳しさだということでした。
プロたるものはファンに対する多くの責務を負っており、とりわけ人気プレイヤーともなるとその義務の度合いもいっそう高まるのだそうで、いかなるスター選手といえども、ファンあってのプロ活動であり、ファンを大切にしなくてはいけないという鉄のルールが身体に叩き込まれているといいます。

日本人選手にはまるでそういうプロフェッショナルとしての厳しさが見受けられず、むしろ逆のような印象です。有名プレイヤーになればなるほど笑顔は消え去り、ことさらに不遜な態度で、ファンとは身分違いのようにふるまうことが一流プレイヤーの証しのごとくで、まるで封建時代のお殿様と民衆の関係のようです。

件の選手は、野球でないためかさらにその傾向が際立つ印象で、それがスターとしての自分のステイタスであるかのようですが、日本人はファンもマスコミもそのあたりに関しては寛大なのか、だらしがないのか、いずれかわかりませんがとにかくそれでまかり通る社会のようです。

ところが、一歩海外へ出れば、そんな日本だけで許される慣習は通用しないと見えて、到着後さっそく厳しい言葉が現地の新聞に踊ったようです。

「彼にはスーツは似合わない」「あのスーツが良くないのではなく、スーツが彼には似合わない」「もっとスポーティな服装のほうが似合うのでは」「あのサングラスはなんだ」「まるでヤ○ザのようだ」「○○(過去の日本人選手の名前)のほうがまだ洗練されていた」などと、はやくもズケズケと手厳しい言葉が連なったのはちょっと痛快でしたが、この程度の批判をされるほうがむしろ自然であって、却って日本での過剰な扱いの不自然不健全さが浮き彫りになるようでした。

あとから知って驚いたことに、なんとこの方は、本業のスポーツの次に大事なのが自分のファッションなのだそうで、高額なブランド品に身を包み、ヘアーのお手入れだけでも数時間をかけているというのですから驚倒しました。
その本業の次に大事なものを、ファッションの国のマスコミからいきなりダメ出しのカウンターパンチを喰らったわけですから、なんともお気の毒といったところです。

でも、そもそもスポーツの選手というものは、大衆相手の人気商売なんだから、周りから勝手放題なことを浴びせられるのもいわば仕事のうちで、日本のように腫れ物にさわるように、高いところへ奉って有り難がって、なにひとつ率直なものが言えないということのほうが、よほどどうかしていると思います。

熱烈なファンともなると、応援のためには会社を休み、高い航空券を買って海外にまで赴く人も珍しくないそうで、瀬戸内寂聴さんではありませんが、そんな無償の愛をありがたいと骨身に刻んで粉骨砕身励むのがスター選手のプロ意識であり、社会もそれを選手に教えていく環境が必要だと思います。
つまりこの選手個人というよりも、ずっとそういう態度を容認してきた日本のマスコミとファンの甘やかしにも責任の一端があるように思うのです。