ピリオド調律?

最近のN響定期公演ではロジャー・ノリントンの指揮が多いようです。
彼の得意なベートーヴェンのみによるレオノーレ第3番、ピアノ協奏曲第3番、交響曲第5番というプログラムの演奏会の様子が放映されました。

ピアノはラルス・フォークトで、ノリントンの要求によりこの日もピアノはオーケストラの中に縦に押し込まれ、フォークトは客席に背中を向けるかたちでの演奏となりました。

この日の映像で目についたのは、NHKホールのステージ奥には縦長の巨大な反響板とおぼしきものが5枚立てられていることで、これによってオーケストラの音は一気にクリア感を取り戻し、同時に空間に抜け散ってしまうパワーも以前に比べるとだいぶ出ていたように思います。

とくにステージ奥に横一列に並んだコントラバス群がその反響板の恩恵に与っているためか、低音のずしりとした響きが加わって、レオノーレ第3番ではおやっと思うほどの効果が出ていたようでした。

続くピアノ協奏曲第3番では、長い序奏に続いてピアノがハ短調のスケールで力強く入ってきますが、ここでいきなり肩すかしを喰ったような印象を受けました。
単純に言ってしまえば、まるでピアノが鳴っていないかのような音で、はじめはマイクの位置の問題だろうかとも思いましたが、どうもそうではない。そもそもスタインウェイの平均的トーンすら出ていないし、カサついたまるで色艶のない音には違和感ばかりが先行しますが、ほどなくその理由がわかったような気がしました。

あくまでもマロニエ君の想像の域を出ませんが、ノリントンのピリオド演奏の様式に合わせるように、ピアノもフォルテピアノ的なテイストを与えるべく、意図的にそのような調律がされているのだと理解しました。
同時に、調律でそこまでのことができるという可能性にも感心して、ある種の面白さも感じなくはありませんでしたが、とはいっても、とても自分の好みではないことは紛れもない事実でした。

そこまでするのであれば、いっそ本物のフォルテピアノを使うべきではないかと思いますし、テンポやピリオド奏法や解釈など、作曲当時の諸要素に徹底してこだわるというのであれば、当然ながら会場のサイズにも配慮が必要で、ベートーヴェンがNHKホールのような巨大ホールをイメージしていたとは到底思えません。

枯れた弱々しい伸びのない音を味わいだと云うのであればあるいはそうかもしれません。しかし、一方では骨董的な甚だ貧相な音にも聞こえるわけで、どうにも消化不良気味になるという側面を持つのも事実だと思います。さらに大屋根を外しているので音は上へ散ってしまい、せっかく立てられた反響板もピアノにはほとんど役に立っていないようでした。
いろいろな試みに挑戦することは創造行為に携わる芸術家として見上げたことだと思いますが、結果がある程度好ましいものに到達できていなければ、やっている人達の自己満足のようで、幅広い意味を見出すことはできないのではと考えさせられてしまいました。

ノリントンの好みや方法論によれば、協奏曲でも独奏楽器とオーケストラが融和し一体となって音楽を作り出すことのようで、それは大いに結構なことですが、だからといってピアノ協奏曲に於けるピアノの音がオーケストラの中へ埋没したように音が弱く、p/ppでは聞き取ることさえ苦労するようでは、一体化もいささか行き過ぎではないかというのが正直なところでした。

フォークトの演奏は、基本的なものがしっかりしている反面、ディテールの表情に恣意性と誇張がみられ、音楽が自然な流れからしばしばはみ出すようで、聴いていて心地よく乗っていけない部分があるのが残念だと感じました。